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2013年11月28日木曜日

風呂山洋三さんの句集感想文

この度は、風呂山洋三さんのブログ件、句集とも言える『風呂山書房』を印刷して読んだ。
そのところ、風呂山さんの世界観には、田舎の人特有の湿気がある事に気がついた。

東北、山陰、北海道と、田舎の人が持っている独特の無口さ、曖昧さ、奥ゆかしさに、一体何が潜んでいるのか?
それが、『風呂山書房』に赤裸々に語られているように感じた。

・自由と言われ身を固くする
・さるものをおう
・書いたあと虚しい
・トイレに用はない
・爽やかな男に生まれ変わりたい
・何も無き秋


奥へ奥へと籠っていく、冬籠もりのような句の連続である。

それらは、

・逆境に強いひとのフリをした

で、結ばれる。

『風呂山書房』には、就職、恋愛、結婚、育児、そして、愛読書と、
様々な人生の節目が訪れるが、本当の主題として貫かれているのは、それらの体験の裏にある、
忍耐力なのではなかろうかと思った。

・蝋人形にしてやろうかと言われた
・口角を何度もあげる面接前だ
・眠れるか眠れないか赤子がきめる
・ちょっとすいません、そこをどけ
・はじっこが定位置である集合写真


普通の人は、10回我慢したら、1回くらいハメを外すものだか、
風呂山さんは、ひたむきに忍耐、耐える事自体を生きがいとしている。

そして、今回、

・光秀の気持ちもわからぬわけでもない

という句が一番、記憶に残った。

明智光秀という武将は、相当に、色んな事を耐え忍んでいたのかもしれない・・・?

一通り読み終えて、整理したところ、

・風呂山さんがトップに立つと分かり易い   祖啓

と、言うことになった。

風呂山さんが頂点に立つと、何かきっと、分かり易い事が起きるような予感がした。

2 件のコメント:

  1. 私も風呂山書房を読み、鑑賞文を書きましたが、この発想はできませんでした。次回作も期待しております。

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  2. kotoさんへ

    ありがとうございます。上手く次回に活かしてみます。

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