(最高得点句)
ビールだコツプに透く君の大きい指 (6点)
(6点)ビールだコツプに透く君の大きい指 ◎◎○○
(5点)バラックの寺ができた梅が咲き過ぎた ◎○○○
(5点)となりでも筍さがしてる春 ○○○○○
(4点)七面鳥が向うむいてふくるる焚火 ◎○○
(4点)林檎をかぢつて、夜、浪の音がしてゐる ◎◎
(4点)冬、冬、枯れたあぢさゐのみ光つて ◎◎○●
(3点)つくしが出たなと摘んでゐれば子も摘んで ◎○
(3点)子を連れて草いきれの道曲つて見える ◎○
(2点)紅い芙蓉をひとまはりして来る子です ○○
(2点)温室の硝子一枚壊れて夏 ○○
(2点)幼稚園は休みです杉菜ぞくぞく ◎
(2点)土ばかりいぢつて何を抜く子ぞ ○○
(1点)赤蜻蛉多く飛過てから庭に打つ水よ ○
(1点)土筆が伸び過ぎた竹の影うごいてる ○
(1点)光線を踏みたんぽぽ咲き過ぎた ○
(1点)桜くろんだ小学校すでにひけてる ○
(1点)子が靴の土ほこり麦の穂が出た ○
(1点)飛行船の灯あかく来る短日 ○
(0点)山吹の蕾何のおちんこぞ ○○○●●●
(0点)新緑の町へ来る汽車の音です ○●
(0点)お馬お馬あしびの花も過ぎたよ ○●
(-1点)梅若葉つき抜けた竹の嵐だ ●
(-1点)昼ぬすびとを追ふ巡査梅若葉です ○●●
(-1点)つやつやひれあざみうちの玄関だ ●
(-1点)芹素足にふれた ●
(無点)日射さんさんと梅を落してる
(無点)ちらちらと燈が楽しんで雪の斜面だ
(無点)芒青うて蝶を追ふ子ぞ
(無点)曇り硝子しめても向うの杉菜
(無点)柊にながれる雨こぼれる
(以上、30句)
※特選(◎)2点、並選(○)1点、逆選(●)-1点として集計。
◆作者紹介
北原白秋(1885-1942)
童謡作家、歌人、詩人として知られるが、数は少ないながらも俳句も残している。荻原井泉水との論争があったせいか自由律の句が少なくない。出句原本は「白秋全集38 小編4」(岩波書店)。
ビールだコツプに透く君の大きい指 (6点)
返信削除◎その後一気に飲み干したのではないでしょうか(洋三)
◎色々言いたいことはあるが、さておきビールが飲みたくなった。(寝覚)
○よかったに違いあるまい(祖啓)
○これがワインだとまた違った感じになりそうである。ビールの持つ大らかさと爽やかさを再確認した(雪兎)
△大変いいです。友達か恋人か分かりませんが、好きな人と楽しく飲んでいるのでしょうね。豊かな時間の中の観察眼て感じですね。(玉虫)
△屈折の関係で大きくなって見えるのか。詠み手が女性で、男性の指を大きいと見ているのか。(働猫)
バラックの寺ができた梅が咲き過ぎた (5点)
返信削除◎バラックで寺を建てざるを得ない状況でも梅は咲くのだ。それこそこちらが驚くぐらいに。これは自然のやさしい冗談だ(雪兎)
○戦後の光景でしょうか。間に合わせかもしれないけれど皆で再建したお寺と、そぐわない程勢いのいい梅の花。「梅が咲き過ぎた」という言い方が好き。水戸っこなのでまた梅にぐっときているという個人的えこひいきもありますが、好きな句です。(玉虫)
○粗末なバラックでも、そこから発せられる祈りの気高さは、どんなに立派なお寺とも何ら変わるところはない。傍らには満開の梅。希望に溢れた季節への思いが、素朴に響き合った。(畦道)
○「バラック」にやられてしまった。再生の勢いが梅の花まで活性化させてしまったのだろう。(働猫)
となりでも筍さがしてる春 (5点)
返信削除○知らない人かお隣さんかわからないが、最後の「春」も含めて面白い。(古戸暢)
○なぜだかキャンディーズの歌が心に流れました(洋三)
○おだやかな感じがする句だが、実際には必死に探しているのだろう。(鴨芹)
○村中が筍掘りに向かう時期、みんな血まなこになっている様子を思い浮かべました。季節感を良く感じるなと思いました。(白川)
○山の中でしょうか。思わず発見したたけのこについつい夢中になると、他の人も筍を探していた。なんていう事を想像しました。「さがしてる春」と解釈しても面白い。(Tヒロ)
七面鳥が向うむいてふくるる焚火 (4点)
返信削除◎クリスマスの日に暖炉で七面鳥を焼いていて、それが美味しそうにふくれあがる、そんな幸せな状況を思い浮かべました。手羽先が食べたくなりました。(白川)
○「ふくるる」がかわいい。(鴨芹)
○まさかこの焚火で七面鳥を焼くわけではないだろうが、なかなかユーモラスな光景。鳥と火は互いをどのように考えているのだろうか(雪兎)
△いずれ食われるのを知っているのだ。(働猫)
林檎をかぢつて、夜、浪の音がしてゐる (4点)
返信削除◎読点で区切った(夜)が効果的。一見はなにも関連のない林檎と波の音が、夜の闇に包まれてひとつに溶けあった。句読点や括弧で違和感を演出するような句はあまり好きではなかったが、本作は成功しているのではないか。小説の書き出しの一行のようだ。続く物語の、無限の可能性を思う。(畦道)
◎かぢるって、なんか好きな表現だ(祖啓)
△これぞ自由律、と勝手に思っている「ぽつん感」がいいなと思います。「、」もこの句においては嫌味じゃない。真似して使ってみたくなりました。(玉虫)
冬、冬、枯れたあぢさゐのみ光つて (4点)
返信削除◎普段は「、」とかが入ってる句好きじゃないんですが、こちらは見るなり好きで一発で特選に決めました。理屈じゃなく好き。句というより詩みたい。紫陽花は枯れたら切っちゃうのが正しいやり方のようですが、無頓着なおうちはそのままにしてますよね。私、枯れた紫陽花の、いかにも朽ちた感じが非常に好きなので、ぐっときました。枯れた紫陽花を「光って」と表現してくれたところも好き。夏の凶暴な明るさとはちがう、冬の昼間の奇妙な明るさも大好き。世界が好み過ぎて抵抗出来ませんでした。(玉虫)
◎この景色を知っています。アジサイは枯れてもそのまま残ってたりしますね。冬の寒い日に枯れたアジサイに日が当たる。「冬、冬、」と持ってくるのも、枯れたアジサイが象徴するものが冬であるという意味だと感じました。(Tヒロ)
○枯れたあじさいって、たしかに不思議な物体だ。あれ特有の不思議さが気になる(祖啓)
●読点が効いているとも思えず、かつ、読点がなければ存在しがたい句には、共感しかねる。個人的な好みの問題ではあるが。(古戸暢)
△冬になりますと紫陽花がどこに生えていたかはわかりませんので、家の庭に咲いていた紫陽花なのかなと思いました。冬の紫陽花も楽しんでいる所に、この俳人の当時の社会的地位が高かったのかなと思い浮かべていました。(白川)
△そういえば冬に紫陽花を思い出したことがない(雪兎)
つくしが出たなと摘んでゐれば子も摘んで (3点)
返信削除◎子は親の背中を見て育つ。(古戸暢)
○親としてはうれしい瞬間だけど、こういう時期はあっという間に終わっちゃう。(鴨芹)
△微笑ましい光景が目に浮かぶようです(洋三)
△かわいらしい。(働猫)
子を連れて草いきれの道曲つて見える (3点)
返信削除◎暑い夏の日なのだろう。道が曲がって見えるのは不安のためか。子の手を引いてどこへ行けばよいのか。そんな途方に暮れている景色と読んだ。(働猫)
○いいいですね。私は自分が子供の気持ちになってぐっときました。後ろで親しい大人が見守ってくれている安心感の中、草ぼうぼうの道をぐんぐん進む。懐かしい、甘い喜びが沸き起こります。大好き。(玉虫)
△何がみえたのでしょう。やはり海でしょうか(洋三)
紅い芙蓉をひとまはりして来る子です (2点)
返信削除○蓮の池をぐるっと一周してくる子供、活発な子供だなと思いました。そういう部分に観察が行く、若い時の頃かなと思いました。(白川)
○かわいらしい。見守られていることをよくわかっているのだろう。(働猫)
△あ、可愛いと素直に思いました。元気で、自身が花みたいなお子さんなのでしょうね。ほっぺを赤くして笑いながらぐるっと駆けてくる光景が目に見えるようです。見守っている詠み人の優しい視線も好き。(玉虫)
とりのがした感のある句。なんとなく右回りだった気がした。
削除温室の硝子一枚壊れて夏 (2点)
返信削除○夏に温室は無用なものだ。その硝子が壊れているというから、無常感に拍車をかける。定型に近い音数で写生に徹することで、ひとつの感傷を浮かび上がらせることに成功した。(畦道)
○この『温室』は実景なのだろうけれど、比喩として見てもおもしろい。(寝覚)
△かなり好きです。真夏の真昼の、ひと気のない田舎道の散歩のイメージ。こういう景色を見ながらひとりで歩くの好き。共感。真夏の真昼のぽつん感に非常に惹かれます。(玉虫)
△夏でよかった。(鴨芹)
たぶん今だ使われている温室なのだろう。確かに夏でなによりだったか。
削除幼稚園は休みです杉菜ぞくぞく (2点)
返信削除◎夏休みかな。園児の声のない幼稚園は寂しい。(鴨芹)
土ばかりいぢつて何を抜く子ぞ (2点)
返信削除○長芋だ。(祖啓)
○これもかわいらしい。一心不乱に土をいじり、その日の宝物を見つけているのだろう。(働猫)
△親のあたたかな視線を感じます(洋三)
佳句。長芋という発想はなかった。
削除赤蜻蛉多く飛過てから庭に打つ水よ (1点)
返信削除○いつもと違う自然の姿は、良くも悪くも我々に影響を及ぼす。そして我々のその後の行動のひとつひとつが、その姿に対する答えになるのだ。もちろん全てが正解とは限らないが…(雪兎)
△取りたかった句。赤とんぼに見とれていたか。それとも水で驚かさないように待っていたのか。優しい句。(働猫)
土筆が伸び過ぎた竹の影うごいてる (1点)
返信削除○写生句。春らしい句だと思う。(古戸暢)
光線を踏みたんぽぽ咲き過ぎた (1点)
返信削除○光線という言葉の選択がまさしく正しいと感じました。春真っ盛り。(Tヒロ)
△また「咲き過ぎた」ですが、梅ほどはぐっと来ないかな。たぶん「光線を踏み」がよく分かんないせいだと思う。(玉虫)
△表現は面白いのだが、3番の句と「過ぎた」の部分が重複してしまっているので惜しくも選に入らず(雪兎)
この咲き過ぎたは質的な問題か量的な問題か。
削除桜くろんだ小学校すでにひけてる (1点)
返信削除○「ひけてる」は「腰が引けている」と判断して、薄墨桜、桜が散る頃に少し黒ずんで花びらが落ちる、その様子と、その時に問題の発生した小学校が解決に向かうことに消極的、そんな風に句を想像していました。(白川)
△「幼稚園は休みです~」の句もそうですが、子供が集まるところなんだけど休みだったり放課後だったりでいま子供たちはいない、でもそういうところに残っている賑やかさの残像みたいなものが感じられていいなと思います。近所を散歩しつつ、学校を通りかかってちょっとキュンとするあの感じを詠みたいのだなと共感。好きです。(玉虫)
「ひけてる」の意味をとれなかった。日本語を勉強し直したいこの頃です。
削除子が靴の土ほこり麦の穂が出た (1点)
返信削除○子どもはどこにでも行くからなあ。(寝覚)
飛行船の灯あかく来る短日 (1点)
返信削除○こういう景色には、何故か惹かれる。(寝覚)
△いつの時代なんだろう。(働猫)
魔女の宅急便を思い出す。わくわくする。
削除山吹の蕾何のおちんこぞ (0点)
返信削除○ほのぼのとしてくる句。(古戸暢)
○何のおちんこぞ、じゃねぇよ何考えてんだよwww ゲラゲラ笑いました。好き。(←結局好きなのかw)(玉虫)
○「おちんこ」今度一度使ってみたい表現です(洋三)
●おちんこぞ、の語感に惹かれて最初は並選に。しかし、これは山吹の蕾ではなく何と取り合わせても面白くなるのではないかと思い直した。ちょっとずるい。これしかない、という配合の妙が見たい。(畦道)
●今回も逆選がかなり迷いました。その上でこの一句を選びました。こういう句はどんな俳人にもあるのかなと、逆にそんな風に思いました。(白川)
●ちんこ。ちんこは好きではないのだ。「女子があーん句」を目指す自分としては、おちんこ句はすべからく逆選とする。とは言え、けして嫌いなのではなく、「しょうがねえな」と口の端を歪めて流す感じです。しょうがねえな。(働猫)
並選でとったが、今一度とる。働猫さんが目指すところが高尚過ぎると思う。
削除新緑の町へ来る汽車の音です (0点)
返信削除○新緑という言葉自体が瑞々しくて、そこにくる汽車の音もどこか爽やかなんでしょう。この音を聞いて見たい。そんな表現力ある句だと思いました。(Tヒロ)
●今回の研鑽句会は、冗談抜きで好きな句ばかりで、逆選には大変苦労致しました。こちらも全然悪くないのですが、そのまんますぎるというか、ほかの句に比べてぐっとくる度がやや少なかった、というだけに過ぎません。自分正直研鑽句会は難解で苦手に感じる場合が多いのですが、今回の研鑽句会は非常に楽しかったです。どなたの句なんだろ、発表が楽しみです。(玉虫)
△のどかな風景が目に浮かぶようです(洋三)
△視覚から聴覚へ。(働猫)
お馬お馬あしびの花も過ぎたよ (0点)
返信削除○昔の教科書にでも載っていそうな調子の良さ。古き良き、旅の風情。(畦道)
●お馬お馬っていうのが、なんか変(祖啓)
△今回僕は作者を判っている中での選句なので、特にこの句は「らしい」感じがしてならなかった。(鴨芹)
好きな句。今一歩とるには何か足りなかった。
削除梅若葉つき抜けた竹の嵐だ (-1点)
返信削除●『つき抜けた』は好きなんだけれど、何か今ひとつグッと来ない。(寝覚)
昼ぬすびとを追ふ巡査梅若葉です (-1点)
返信削除○どこか長閑さを感じる句です。不思議(洋三)
●「です」は必要か。あるいはこの位置が適当か。(鴨芹)
●面白い題材だったのに最後の季語でガクッと来るパターンである。見たままを書いたのだと言われればそれまでだが、私は作品を読みたいのであって、体験を聞きたいのではない(雪兎)
△どこかのどかな捕り物。状況的にはエマージェンシィな感じですが、傍観者の視線のせいでおとぎ話のような雰囲気。この距離感がいいなと思いました。私自身は自分がぐっとその世界の中に入ってるような泥臭い詠み方が好みですが、こういうのもたまには詠んでみっかな…と、つい引きずられる良さがある句だなと思います。(玉虫)
△のどかですね。(働猫)
好きな句。往時の世界を切り取った写生句。のんびりした雰囲気が漂ってくる。
削除つやつやひれあざみうちの玄関だ (-1点)
返信削除●ひれあざみが玄関付近に咲いているということでしょうか。だからどうしたとなってしまうパターンの句だと思います。(Tヒロ)
△いいですね。ここがわたしんち、って思いながら直近の光景を見てるんでしょう。おうち大好き人間として共感。(玉虫)
芹素足にふれた (-1点)
返信削除●「芹」は実景だとは思うのですが、これだけでは実感が伝わりにくい気がします。駄目な句ではなく、気になるという意味での逆選(洋三)
△簡潔で広がりもあってよいですね。(働猫)
(無点)日射さんさんと梅を落してる
返信削除△梅林で、梅の実がたくさん地面に散らばっていて、日が照っている。朝散歩しながらこういう光景を一人で見てるの大好きです。いいいですね。ごめんなさい、また梅をえこひいきしています。(玉虫)
(無点)ちらちらと燈が楽しんで雪の斜面だ
返信削除この橙は街灯の明かりだろうか。いまいち思い浮かべられなかった。
削除(無点)芒青うて蝶を追ふ子ぞ
返信削除「土ばかり」の句の方が好き。
削除(無点)曇り硝子しめても向うの杉菜
返信削除(無点)柊にながれる雨こぼれる
返信削除作者紹介のところで井泉水と白秋の論争について触れましたが、これについて若干補足します。
返信削除「白秋全集18 詩文評論4」(岩波書店)には、荻原井泉水あてという形式となっている以下の詩論が掲載されています。
・詩と自由 その一 自由律について、荻原井泉水君に
・詩と自由 その二 再び荻原井泉水君に
・民謡と俳句 三度、荻原井泉水君に
・短唱と俳句 四度、荻原井泉水君に
・短歌と俳句 五度、荻原井泉水君に
これらはいずれも1922(大正11)年9月に書かれ、この年白秋が山田耕筰と共に創刊した「詩と音楽」において発表されたもののようです。
「詩と自由 その一」は井泉水の「詩と俳句」(短歌雑誌7月号)を受けて書かれており、また「民謡と俳句」はやはり井泉水の「白秋君の民謡を読む」(層雲6月号)を受けて書かれています。
僕自身は、これについて井泉水側の主張を全く読んでいないので、論争の全体像はわからないのですが、「詩と自由 その一」における白秋の主張は
「新俳句は不自由で不自然だと思ひます」
「層雲の俳句が、態度が強すぎ、散文脈の叙述的説明的のものが多く、まだ詩のリズムとして十分に円融し切らないやうに感ずるのです」
ということのようです。