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2014年6月17日火曜日

言葉の罪について


言葉を真に受ければ真に受けるほど、その言葉の罪は増していくものですが、
この度は、言葉の罪について色々と言及してまいりたいと思います。

言葉を発することが、車の運転をすることと同一の次元の行為であったとすると・・・、
果たして、ある人の、ある一言が、たしかに、人を傷つけ、時には命を奪うことも考えられる。
それが、人間が生活を営むにあたっての必要不可欠なシステムとして成立しているのが、
この、現在の地球そのものの避けられない現実となっております。

殺意を含まないつもりの言葉が、結果的に人を殺め、
殺意を含んでいる言葉が、結果的に人を操り、統括していく現状について、
その罪の重さを量刑することは、極めて困難、かつ、イタチごっこのようなタチの悪さを秘めています。

結果的に人を殺めてしまう、殺意を含まない言葉。
それは、ひとつのケースとしては、物理的現象に盲目的である場合に起こる悲劇であることが、あるように思われます。
重力の法則や、人体の肉体的構造が何も分からないまま、
脳中で物事を考えすぎる事によって、故意で無く、人が傷つけられ続けていく、という事例。
その場合のケースを阻止する為には、人と接する事よりも、まず、
3K労働と呼ばれる、「きつい、汚い、危険」を体験する事が何よりも重要であると思うようになりました。
火事が起きている最中は、はたして、火を消すことが、お金を貯めるよりも大切な事であり、
車を運転している最中は、はたして、ブレーキの度合いを把握することが、
人とのコミュニケーション能力よりも、大切なことのようです。

何をすると、人が高所から落下して死亡する可能性があるのか、
それは何よりも、自分が高い所によじ登ってみる体験が、そのままの教科書になるようです。


もうひとつの闇。
結果的に人を統括していく、殺意を含んでいる言葉。
これはこれで非常に厄介ですが、いわゆる極道は、まさしくそうなのであり、
自分の命を捨てる事が可能、という人生は、人をやたらと操作するようです。

これと対極の生き方を遂行している人にも出会ったことがありますが、
その人は、誰よりも、自分の命を大切に扱える人であり、周りの命も大切に扱える人でした。

何かを、大切にしない、という選択と、大切にする、という選択肢。

単純化すると、誰にでも当てはまる問題であり、自分自身の故意な殺意を発見しやすくなるようです。

VT句会の今回の議題は「悪」と聞きつけ、なんとなく、こんな記事を書きたくなった昨今でした。


2014年4月10日木曜日

句の採用率


ある程度まとまった句集ないしは句群に目を通すと、その句を採るか採らないかの印を、句の上に書き入れる。採るまでにいたらなくとも、よいと思った句にも印をつける。どのような句集や句群であっても、その採用率(よいと思った句も含む)はおよそ10%前後に落ち着くようである。

山頭火の句集であれば、『草木塔』に集中して、こうしたチェックが入っている。『草木塔』における採用率は、30%程度と極めて高い。しかし山頭火の句全体でみた場合は、採用率はさほど高くない。おそらくは、10%を切る程度となろうか。山頭火の句に惹かれて自由律俳句を詠みはじめた自身にとっては、これは驚くべきことである。

一方で、顕信の『未完成』における採用率は、40%という、群を抜いて高い数値となっている。私の嗜好と顕信の句の傾向が合っていたということだろうか。これには、顕信が残した句数が少ないという事実も関連していよう。すなわち、顕信がもっと多くの句を詠んでいれば、山頭火の例と同様に、全体としてみた場合の採用率は平均値に落ち着く可能性が高い。

このようにして採用率に着目すると、自身が好きな句の傾向が、数値を以ってして見えてくる。一句一句は好きであっても、全体における採用率が低い場合も当然あろう。また逆に、記憶に残る句は少なくとも、全体における採用率が高いことも起こりうる。

ひとつの目安として、各人で句の採用率を確認してみるのも面白いだろう。これまで気付いてはいなかった自身の側面を、発見することができるかもしれない。

2014年1月30日木曜日

走るうさぎを追いかけて―藤井雪兎を読む

鉄塊鍛錬句会に毎月参加させていただけることは大きな喜びですが、
実はわたしにとっては非常に痛みを伴う行為でもあります。
何故なら、わたし以外の皆さんの句が良すぎるから。
選句表が送られてくる。いそいそと目を通す。
たまに、選句表を見返すのすら恐ろしくなる句があるので困ります。
初見でずきりとする。酷いダメージです。


わたしに酷いダメージを与える詠み手はいつも決まっている。
働猫さんと雪兎さん。
今日は勇気を出して、雪兎さんの作品と向かい合ってみることに致しましょう。
(働猫さんについても、近日中にじっくりと語らせて下さいませ)


最初に気になったのはこちらでした。


たっぷりと血のつまったぼくら笑いころげて


鉄塊入会前のある日のこと。
鉄塊入りたいなー、でも怖い人いるしなーと思って、わたしは言い出せずにおりました。
で、何となく連日、鉄塊ブログをうろうろと見て回っておりまして、そうだ、あの怖い人はどんなん詠んでいるのだろうと思っていたらふとみつけた、という感じでした。


意外。瑞々しい。
ショッキングな始まり。
「たっぷりと血のつまった」が非常にいいです。瑞々しく、傷つき易く、ちょっとの傷が致命傷になりそうなあやうさがありますね。
そんな繊細な「ぼくら」が「笑いころげて」いる。若さということをこれ程端的に言い表した一言を、ほかに知らないなと思いました。
おや、あの非常に怖い人は繊細な人なのか?? と思いました。


で、気になって過去句を漁ります。


そうしてたくさん見ているうちに、この人の本質は「痛み」なのだなと思い至りました。
見ないふりをして過ごしてしまえば楽なことを、敢えて凝視して傷つく。
傷ついても未来を諦めない。
だから吼えているのだなと思いました。


わたしは常々「雪兎さんの句が好き」と公言しておりますが、正直に申し上げると、好きなのかどうかよく分からない。
と、あけすけに申し上げてしまったので、更に正直に言ってしまうと、
拝見すると、余りにも強い痛みを覚えるので恐れている、というのが真実に近い。
グッサリと胸に突き刺さる語群。ダメージが大きいので、本当は見たくないのかもしれない。
でも見てしまうんですよね。気になって仕方がない。
で、気が付けばいつも追い回しているようなあんばいになっているのです。


しかしうさぎはあしがはやい。しかもずっとずっと先を走っている。
こちらはもたもたもたもた、全然追い付ける気配もありませんが、大怪我をしながら、ウォッチを続けたいと思います。


以下に、藤井雪兎作品の中でも特に好きなものを並べておきます。
ご本人は「リアリティを大事にしている」とおっしゃっていましたが、どこかファンタジックでもある、痛みでいっぱいの、瑞々しい感性に震撼していただけたら。


恐れているけど、ちょうくやしがっているんだよオレは!!!
何でこれらを詠んだのがオレじゃないんだ!!


クッソ、うさぎぶったおす


片目の伯父を父は見るなと

うでをひろげてそらのまね

この手のひらを選んでくれた雨粒

稲妻にこの姿見せに行く

全身を口にして黙っている

それぞれのにおいのする金で払っている

たっぷりと血のつまったぼくら笑いころげて

靴擦れを隠して輪に入った

救助された男の目に満月

ひび割れた眼鏡で時間通りに来た

抱きしめられ剃刀の落ちる

この雨は新宿の地下水となる立ち止まる

連作「十年前」
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/12/10_1484.html



2014年1月25日土曜日

歯 車 (「海紅」平成二十六年新年号 新春譜より)



 歯車がカチッと合わさるような、そんな感触を味わったことがあるだろうか。その歯車がゆっくりと動き始める。それは得も言えぬ恍惚感なのである。
 私は大学の頃、卒業論文に太宰治について書いている。それから年月を経て、昨年までブログに感想文を上げていた。太宰は作品はもとより、その人物像でも有名な作家である。例えば、第一回の芥川賞選考の際には、こんな話がある。
 当時、はじめは太宰の『道化の華』という作品が選考作品として推されていた。しかし、川端康成らにより『逆行』という、彼の別の作品が選考作品として挙げられてしまう。その理由として、彼の私生活に問題ありとの選評が、川端康成により為されたのだ。結果、太宰は芥川賞を落選した。
 これを読んだ太宰は『川端康成へ』という文章でもって、猛烈な抗議を試みる。作品ではなく私生活に目を向けられたのが悔しかったのであろう。川端康成はこれを受け前言の撤回を文章にて表わし、両者に一応の和解が成立するのであった。
 これらの事柄は、現在ならインターネットで少し調べればすぐに知ることができる。だが、私が卒論を書いていた頃は、図書館へ通ったり、古本屋で資料を購入したものだった。そんな中、ずっと胸に引っ掛かっていた文章がある。
 “ガッチリした短篇。芥川式の作風”
 これは選考作品となった『逆行』の選評である。実は当時の私はこの作品があまり良いとは思えなかった。だから、この選評についても頷けないものがあった。
 しかしながら、昨年になって再び『逆行』を読み返した時、すっきりとした文体に、実は深いテーマを描いていることに気が付いた。これには、私自身が年齢を重ねたことも一因しているのであろう。 約20年の歳月を経て、あの選評の意味がようやく理解できた気がした。
 そこで、久しぶりにそれが書かれてあった資料に目を通し、この評を書いた人物の名を確認した。すると、そこには、瀧井孝作と書かれてあった……。
――カチッ
 そのとき、私のなかで、歯車が合わさるのを感じた。瀧井孝作。そう、碧梧桐の元で一碧楼とともに、海紅の編集に携わった先達である。
 と、まあ、こんな感じで昨年は新春譜を書こうと思っていたのだが、時間が無くて仕上げられなかった。そこで今年こそは、と思ってはみたものの、どうも続きが書けない。
 ところで、私はTwitterをやっているのだが、そこには毎日、季語を一つ紹介して下さる方がいる。その季語を用いて、多くの人が句作するのを楽しんでいるのだ。私も時折、定型句を作る機会として活用している。
 11月の、とある日曜日のことである。その日、私はTwitterからの季語で句作をしながら、以前から行きたかった古本屋へと車を走らせた。
 そこでは俳句関連の書が地下に置かれてあり、私はお宝を求める海賊のような気分で階段を降りていった。迷路のように入り組んだフロアの中頃、ようやく見つけたお目当ての棚には、富安風生や中村草田男などの句集が並んでいた。足元には段ボールが置かれてあり、棚からはみ出したものがそこに無造作に詰められている。
 ひと通り棚を見終わった後、私はその段ボールの中を物色し始めた。ここにお宝が眠っているかもしれない。丹念に箱の中を覗く。すると、一冊の句集が目に入った。そこには『瀧井孝作全句集』と書かれてあった……。
――カチッ
 そのとき、また私のなかで、歯車が合わさるのを感じた。その日の季語は「浮寝鳥」であった。瀧井先生の句集の名でもある。
 店を出て、車のエンジンをかける私の横顔は、恍惚とした表情を浮かべていたに違いない。助手席には一冊の句集。軽くアクセルを踏むと、車はゆっくりと動き始めた。


2013年7月24日水曜日

句をよみたい

句を詠みたい。

私の句は、景を感じて五秒から十秒以内に浮かび終わる言葉のことだと思っている。
それを携帯でメモして、後でパソコンでワードに打ちこんで、それでおしまい。
長いこといろいろ考えていろいろ変えたりするのは、頭使うから苦手。

もしかしたら投句するかもしれないけど、しないかもしれない。
少なくとも「自分だけの句」は、投句せずに内緒にしておきたい。

表現の新古は、読み手の好みに影響を与えることはあっても、句の善し悪しの評価に何の影響も及ぼさない。だからそういうのは考えずに、好きな句を好きなだけ詠んで生きたい。

数百年後あたりに、詠み人知らずとなった自句が誰かに呟かれていたら嬉しい。

句を読みたい。

たくさんの句を読んで、よい句と出会いたい。
頭の中に、いろんな句を入れて生きたい。

青空をみつけたら、「うでをひろげてそらのまね」と叫んでうでをひろげて、
羊雲をみつけたら、「空にぽこぽこ羊雲」とつぶやいて、
老いて行く祖父をみながら、「花の名を忘れた口へ匙を運ぶ」を思い出して、
山を歩いたら、「分け入つても分け入つても青い山」と諳んじて、
子どもの成長をみながら、「あるけてあやういあんよ」と言ったりして、
秋雨に降られたら、「秋雨が骨を打つ」と格好つけて、
妊婦と出会ったら、「生まれて来る子よ腹を蹴りなさい」と話しかけたりして、
二人を生んだ女をみたら、「そのすらりとした足の間から二人も生まれた」と思ったりして(すらりとしていれば)、etc..........

そしたら、世界が輝いているような、あるいは、どうでもいいような感じがして、毎日楽しそうたい。
よい句を詠んでくださった皆さんに、感謝多謝。

ほんとはこれで十分だなと、ふと思った夏の夜の独り言でした。

2013年7月6日土曜日

自由律俳句を広める?

※2013/07/06付、元鉄塊衆の自由律俳人・粟野賢太郎氏とのメールでのやり取りより抜粋

:どうして自由律俳句を広めたいのか?

:①私たちが詠んだ句が、時を超えて数百年後の未来にも残ることに浪漫を感じます。自由律俳句を読む(詠む)人を増やした方が、そうなる可能性が増えると考えます。
②裾野を広げることで自由律俳人が増えれば、ますます多くの佳句がでてくるように思います。そうした句に触れてみたいと、個人的に考えています。

:現状の活動では、不十分だと思う。

:①一朝一夕に、行動の結果が目に見えて現れるとは考えていません。数年、数十年レヴェルで、効果があらわれればよいのです。今の行いに意味があるかないかということは、時の流れが判断してくれます。自分たちの行動を無駄とみなすにはまだ早いのです。必要なのは、継続することです。
②もっとも、ご指摘のとおり、他にもさまざまな活動を行う必要はあるでしょう。この点については、他の自由律俳人の方々(「自由律句のひろば」など)がいろいろと行動してくださっているように思います。今後、議論が活発化することを願います。

:俺には実らない種を播いて死ぬまで水をやり続けてる風にしか見えない。

:実るかどうかは、今はわかりません。私が死ぬまでに実る必要は必ずしもないとも考えています。その時は、次の世代が引き継いでくれればよい。成功があれば、次の世代も作業をしやすくなるでしょう。失敗があれば、次の世代はそれを反省して、同じことを繰り返さなくなるでしょう。そこに、私は意味を見出します。向かおうとする意志さえあれば、いつかはたどり着きます。

以上、賢太郎氏とのやり取りをもとに、私個人の自由律俳句を広めることに関する考えを書きました。
これをたたき台にして、皆さんのお考えを書き込みいただければ幸いです。

2013年5月27日月曜日

『カッパKO』

 百貨店の屋上に、観覧車がある。地上七階の古びたタイル張りの建物の上、色とりどりのゴンドラがゆっくり廻っている様は、風景そのものが欠伸をしているように見える。幼い頃からもう何百回と、数え切れないほど眺めてきた景色だ。それはあるときには冒険への出発にも似た心躍る非日常への誘いのようであり、またあるときは、ありふれた生活のひとこまに過ぎなかった。屋上遊園地が全国でも珍しいと知ったのは、つい最近のことだ。あって当たり前と思っていたものが、それから急に有り難みを増した。
 退屈な街だ、と唾を吐き捨てるように、この景色と訣別したのは今から二十数年前。そして東京で食い詰め、帰ってきたのが三年前。私は何を成し遂げることもなく、ただ無駄に歳を重ねていた。デパートの屋上の小さな観覧車に乗って、しばらく景色を眺めていただけ。思えばそれが私の東京暮らしだった。
 エレベーターを最上階で降りると、ペットショップがある。熱帯魚や小鳥、齧歯目などが、水槽、籠、プラスチックのケースなど、それぞれ適した住処に納まる。日向の水がみるみる乾いていくときのような、蒸れた生命の匂いがそこらじゅうにたちこめている。私は少し噎せそうになりながら足早に、香ばしい店内を通り過ぎた。
 屋上に一歩出ると、それまでとは質の異なる喧噪に包まれる。色とりどりの遊具やゲーム機が奏でる電子音だ。強い日差しと相まって、軽いめまいを覚えた。平日の午後とあって、客は少ない。そこで色彩と音響の洪水に包まれ、一瞬にして異世界へ迷い込んだような錯覚を起こしたのだった。
 観覧車はその中心をピンクのガーベラに似た花で飾られていた。星形に組まれた鉄骨の先から、一台毎に色の違うゴンドラがぶら下がる。観覧車それ自体が、一枚いちまい違う色の花びらを持つ、大きな花のようでもあった。
 深酒をして、昼近くに起きた体である。コンクリートの照り返しがきつい。そして何より、子連れでもないのに屋上遊園地にぼうっと佇む中年男、という己の半端さが居心地悪く、早々に屋根の下に入った。
 ゲームコーナーに人影はない。それでも電子音は鳴り続けていた。客が来てからコンセントを入れるわけにもいかないのだろうから仕方ないが、電気の無駄という印象は否めない。誰も居ないのにけたたましく音楽を響かせる機械の数々は、いつの間にか個別に意志を持った生物へと変化しているのでは、との妄想を抱かせた。
 私は近くを通りかかったポロシャツ姿の従業員を呼び止める。
 すみません、と控えめに切り出した私の問いかけに、彼は怪訝そうな顔で答えた。
「カッパ……ですか」
「そう、カッパにね、ボールをぶつけるゲームなんだけど。知らないかな、誰か、長く勤めてる人とか」
 その若い従業員から、答えが聞けるとは思っていなかった。彼は一度、店内に引っ込むと、スーツ姿で私よりも少し年下と思しき男を連れて戻ってきた。この遊園地とゲームコーナーの、責任者ということなのだろう。
「申し訳ありませんが、お客様」
 その男は私の正面に向かい合い、私の後頭部を凝視するような目をしていた。私の頭の中に何が詰まっているのか、透かして見ているのだ。
「そのようなゲームは当園では扱っておりません」
「昔は確かにあったんだ。何年前くらいだろう、なくなったのは」
「申し訳ありません、存じ上げません」
 調べてみて、分かり次第ご連絡しますというので、電話番号をメモして渡した。きっと電話はかかってこないだろうが、そうするしかない。
 私が探していたのは『カッパKO』というゲームだった。コインを入れると忙しなく動き始めるカッパの人形に、ゴムのボールを投げつける。命中するとカッパは、クワックワッ、だったかケケケだったか、そんな声を上げ、さらに激しく踊る。それより少し前に大流行したモグラたたきに似た、ストレス解消のためのゲームだ。
 この、どこかヒステリックともいえる遊びに、最も夢中だったのは高校の頃だった。放課後、友人たちとこのゲームコーナーに集まり、なけなしの小銭をつぎ込んではカッパにボールをぶつけていた。いま思えば、阿呆である。
 ふざけて踊るカッパは、私そのものだった。当時の私は、部活動はせず成績もぱっとせず、当然ながら女にもさっぱりもてなかった。だから男友達とたむろして、カッパにボールをぶつけるぐらいしかすることがなかった。私は私の幻影にボールを投げつけ、己の無能を嘲笑っていたのだ。
 そして二十数年に渡る無為な東京暮らしに見切りをつけ、私はこの街に帰ってきた。ふと再会したくなったのは当時の友達ではなく、カッパだった。結局帰ってきちゃったよ、と言いたかった。
 自分を、変えたい。今の自分は何者でもない、踊るカッパの人形だ。この街を出て、ひとかどの者となり、私にボールをぶつけた奴らを見返してやる。
 ……そんな狂おしい思いに苛まれた、十代のある日のことだった。私は確かに聞いたのだ、カッパの声を。
(ぶつけろよ、思い切り)
 そのときは友達と一緒ではなく、私ひとりだった。いつものようにゲーム機にコインを入れ、ボールを握りしめると、カッパがそう言った……ような気がした。
(自分を壊したいんだろう?)
(ぼくはちょっとやそっとじゃ、壊れないよ)
 あれは確かにカッパの声だった。しかし、はっと我に返ると、カッパはいつものように、単調な動きを繰り返すだけだった。私はカッパの腹の真ん中めがけ、強くボールを投げた。カッパは、きっ、と真っ正面を見据え、堂々と踊っていた。これがぼくだ、文句があるかとでも言いたげに。
 私はあのときのカッパを探しに、この街に帰ってきたのかもしれない。ごめんと一言、謝りたかった。痛い思いをさせた割に、たいした男になれず、申し訳ない、と。
 百貨店を出ると、日差しはさらに強まっていた。もう夏だった。がらくたをかき回したような電子音が、まだ頭の中で鳴り響いていた。

やめるのをやめてのうのうと生きている   

(作・松田畦道)

<了>

(とある文学賞に応募し、あえなく落選した作品の冒頭を若干修正して短編としました。)

2013年1月23日水曜日

句をとる


私が句をとる際に重視していることは、その句がすとんと心に落ちてくるかどうかという点である。すなわち、考える間もなく景が広がる句、そういう句を選んでいる。

句の中に何がしかの違和感を感じたり、頭をひねらなければいけなくなったならば、私はその句をとらない。疑問符が浮かばない句を好むのである。このことは結果的に、句評を書きやすい句を選ぶことにつながる。

実際に選句をする際には、私は三段階評価をする。すなわち、各句の冒頭に、無印(0点)、△(一点)、○(二点)を書き込んで行くのである。もっともこれはPC上で行う場合のことであって、実際の紙の上で行う際には、△の代わりに一本線を、○の代わりに二本線を書き入れている。この作業を、だいたい三度ほど行う。その結果、各句の冒頭部分は以下のようになる。

○△○1  古池や~
△△  2 古狸~
     3 古古古~
   ○4 古時計~
      5 古ん古ん~

こうして点数の多く入った句をとっていくわけである。上の例でいえば、1番の句が特選、2番と4番の句が並選となる。なおたまに、◎(あるいは三本線)を書いてしまう句がある。これは自動的に特選となる。

逆選の時も、加点法を用いる。残った句(上の例でいえば3番と5番)のうちにいいところを見つければ、それを候補から外す。そうして最後まで残った句を、逆選とするのである。消去法と言った方がいいのかもしれない。なおたまに、いきなり×をつけたくなる句がある。これは自動的に逆選となる。

以上、私が選句の際に重視することと、具体的な選句法を述べた。

皆さんがどのようにして選句をしていらっしゃるのか、お聞かせいただければ幸いである。

1/27追記

皆さんのコメントを読んでいて、選句方法に関して書き忘れたことがあることに気付いた。
無点句となる句の中に、選外句が含まれているのである。これは、あまりに私の感覚から異なっていて、どのように判断すればいいのか、何が良くて何がいけないのか、この辺りが皆目見当もつかない句のことである。

したがって私の選ぶ逆選句は、理解はできるものの何かが足りない(加点できない)句となる。なお、好き嫌いでいえば、そもそも句に対して嫌いという感覚を持たないので、逆選句であれど好きな句であることに変わりはない。

2012年12月16日日曜日

『日本プロレス界の今後を憂う』 (選挙の為)


(先日の書き込みは、あまりにも悪ふざけの度が過ぎてしまいましたので、今回は、すっかり改心!心を入れ替えて、マジメな原稿を書かせていただきます。くわばら、くわばら。)


・序

まずは、プロレス界の今後を語るに当たって、各レスラー同士の相性や相互関係について説明をさせていただく。

昨今、「吸いつつ知宏」というとんでもない荒技までもが誕生したのだから、もはや、王者シチュー知宏の座をおびやかす存在は、この国に居なくなってしまったといっても過言ではない。
このままでは、シチュー知宏の独占連勝が、以後軽く十年は続いてしまうのだろうから、真のプロレスを愛するプロレスファンとしては、どうにかして、彼をやっつけるだけの強力なライバルの出現を生み出してさらなる活気を望みたいところだ。

私の勘では、彼に対抗できるだけの格闘家は、今の日本では、かの伝説の格闘家、矢野風狂子か、もしくは、闇の帝王、覇王粟野以外には、すでに居なくなってしまったと断言する。


武士道最強!矢野風狂子
裏世界最強!覇王粟野
正統派最強!シチュー知宏

 
しかし、彼らは、それぞれ、違う環境で生き、違うルールで、格闘の世界に接しているため、どこでどう、その最強同士を遭遇させて、さらには、何を基準にトップを決めたらよいのかが、極めて難しい。

風狂子のルールにおいては、「飾り」の概念が無く、
粟野のルールにおいては、「日本」という概念が無く、
知宏のルールにおいては、「外道」という概念が無い。

それぞれのルールに欠如があるので、どうしても、公式戦を制定して、きちんとした審判を決める事がことのほか困難なのだ。(時間も、場所も、パンツの厚ささえも一致させることが困難)
「日本」が通用しない粟野や、「飾り」が通用しない風狂子を、
ちゃんとしたリングに呼びよせて、ちゃんとした時間に、同じパンツをはかせて、「はいどうぞ、やりましょうね。」と戦わせるなんて、こんな苦労は並大抵の事ではない。

 

すでに彼ら三人は、誰も追いつけないくらいの最強の格闘家であるにもかかわらず、なぜ、無理やりにも戦わせる必要があるのか?
これを、さらに、深く取り上げてみよう。


・各レスラーの世界観相関図


「武士道」      = 矢野風狂子 

「裏世界」      = 覇王粟野 

「正統派レスラー」 = シチュー知宏、ラッシュ藤井、スベスベ畦道、ハロー寝覚

「さわやかポジション」 = 魔球古戸暢

「カタツムリ教団」 = カタツムリ鴨芹

「論外、問題外」  = トロピカル祖啓


 

現在、日本のプロレス界は、このように人材が分かれている。

魔球古戸暢の「さわやかポジション」というのは、非常に珍しいポジションで、彼は、正統派レスラーであるにも関わらず、武士道や、裏世界、カタツムリ教団、論外、問題外といった、あらゆるポジションの人とさわやかに接せられるため、本人自体は、正統派レスラーであるにも関わらず、このような特異的な存在となっている。

カタツムリ鴨芹は、つい最近、正統派レスラーの世界に入ったばかりで、本来の目的は、「カタツムリ教団」の布教が目的なのだから、このような位置となる。
カタツムリ教団と、鉄塊の方向性との違いが無い事を祈りたいとは、先日の記事にも書いたとおりである。

トロピカル祖啓の「論外、問題外」というポジションについては、彼はそもそも、レスラーというか、なんというか、それ以前の人間なのでこうなってしまった。
彼の正式名称は、通称「バグ」と呼ばれている。彼については、「バグっているから仕方が無い」という以上、掘り下げても何も出てくる事はないので、今回の記事においても、これ以上は何も説明を加えない。


さて、この日本プロレス界の現状を眺めてみれば、当然、正統派レスラーと、裏世界を生きる、覇王粟野とのルールが噛み合いにくい事は、まず、単純にして明快である。
そして、ここで、現在結成されているトリオグループ「そねだゆ」について注目する重要性をかかげさせて頂く。

本来、違うルールに生きて、一致しないはずの価値観に見える、風狂子、粟野、古戸暢の三人が、このトリオを結成してお笑い芸人になろうとしているとは、全く持って奇跡とも呼べる不思議な縁だ。しかも、なかなかに相性がよく、絶妙のボケとツッコミ具合から、お茶の間の人気者になりはじめている。
(粟野はボケ専門。古戸暢はツッコミ専門。風狂子は、ボケとツッコミの中間に位置する)

この場合、闇の存在であるはずの覇王粟野が、サムライ風狂子と、さわやか古戸暢の存在を得る事によって、はじめて表の社会に登場する事が可能となった。
お笑いグループ「そねだゆ」によって、正統派レスラー達も、裏世界の覇王粟野の存在を知り、脅威を受ける可能性が、現在計画されている。

覇王粟野の存在が、最大のキーパーソンとなってくるのは、どうしても、普通に生活をしていると、正統派プロレスにばかり人材が流れ、正統派レスラー同士でしか戦わない、いわゆる「なまぬるい環境」「なあなあ」「お約束試合」になってしまう可能性が高いので、真のプロレス魂で、観客を心から楽しませるためには、反則技で、いやがおうにも、レスラーを必死にさせなければならない。そのためにも、外道レスラーの存在が必要不可欠なのだ。

正統派レスラーのプロレスとは異なる、風狂子、粟野の存在が注目すべきなのは、そこにある。



・審判の問題


ルールが違う格闘家同士を戦わせるにおいて、何よりも難しいのが、やはり審判の存在である。
一体誰が、こんな訳のわからない試合の審判をつとめられるのか?

武士道には、「生死」
裏世界には、「自由」
正統派には、「政治」

というルールが、審判、ジャッジとして存在するように思われるが、これらを総括してつかさどる審判、裁判官を、一体にして誰がつとめれば良いのだろう?

まったくもって難しい難題だ。。。



うーん・・・・・、誰だろう、これは・・・・?

「自由」で、「武士道」を重んじてて、しかも「政治的」な人間だと・・・・!?

そんなヤツが、この世にいるのか・・・・???



うーん・・・・、

うーん・・・・・・・・・、

一体、誰なんだぁ・・・・・・・・・・、





と!!!

 

その時、突然、

 

王者シチュー知宏が、乱入した!!!!!







「お前は、どうしたいんだ!?」

 

シチュー!!シチュー!!シチュー!!シチュー!!




 

「お前は、どうしたいんだ!?」

 

シチュー!!シチュー!!シチュー!!シチュー!!


 

 

憂いの一句


 

悩ましきプロレスラー 何をさせてもプロレスラー

 




そうだ、何をさせてもプロレスラーは、プロレスラー。

みんな、プロレスが好き。

みんなもともと、プロレスが大好きなんだから、今現在、何をしてても、本当は、おんなじだ。








「お前は、どうしたいんだ!?」
 

シチュー!!シチュー!!シチュー!!シチュー!!

 

 


 

「お前は、どうしたいんだ!?」
 

シチュー!!シチュー!!シチュー!!シチュー!!







維新の一句


 

切り開けプロレスラー 坂本竜馬だプロレスラー


 

 

坂本竜馬のように、「層雲」だとか「海紅」だとか、そんな狭い結社の枠を超えて、今一度、日本を洗濯しなおしてみよう。
自由律だとか、定型俳句だとか、ポエムだとか、そんな枠組みも越えて、この国を、今一度、洗濯しなおしてみよう。
武士道だとか、裏世界だとか、正統派だとか、それらの言葉を、「プロレス」という、ただひとつの「一番大好きな名前」に集約させて見詰めなおしてみよう。

なにしろ、まもなく海外から、物騒な大砲を載せた黒船がやってくるのだから、そんな呑気な事を言っている場合などではなかった。
お笑いグループ「そねだゆ」は、宿敵、黒船と戦うために結成された新ユニットなのである。

この国をおびやかす、真の敵に歯向かうべく!

武士道と、裏世界と、正統派レスラーは、力を合わせ、シチューを黒船にぶっかける!!




「お前は、どうしたいんだ!?」

 


シチュー!!シチュー!!シチュー!!シチュー!!
 

シチュー!!シチュー!!シチュー!!シチュー!!

 

 



「お前は、どうしたいんだ!?」

 

シチュー!!シチュー!!シチュー!!シチュー!!
 

シチュー!!シチュー!!シチュー!!シチュー!!



 

突然、「お前はどうしたいんだ!?」と、顔面にシチューをぶっかけられて、答えるべく、答え。


それこそが、日本プロレス界の未来。

日本プロレス界の未来は、「シチュー」だ!

















『シチューぶっかけ論』



以上から、今回のシチュー事変についての収拾をつけてみる。

シチュー知宏が最強の王者である所以の多くは、その必殺技のすべてに、あるひとつの共通点が存在するからだ。

いきなり相手に、
「お願い、もうちょっと、しがみつかせて!!」
と、しがみつき、無理やりにでも、依存関係を構築する「しがみつかせて知宏」。

「あったかいシチューいらない。なーんて嘘」
と、一旦、油断をさせておき、
「お前はどうしたいんだ!?」
と、隠し持っていたシチューを相手の顔面にぶっかけ、
無理やりにでも、食べ物を相手に分け与える慈悲の行を実践する「シチュー爆弾」。

いきなり相手に、
「吸いつつ、吸いつつ、吸いつつ、男はバカ!!」
と、顔面にデッド・キスをし、求愛行動にせまってしまう「吸いつつ知宏」。

これらの総てに共通するのは、つまりは、あらゆる行動の動機の根源は、
「ただ単に、好かれたいだけだぞ!」
「ただ単に、仲良くなりたいだけだぞ!」
と、問答無用の求愛行動をせまっている事を意味している。

まったく無関係だった人の顔面に「シチュー」という美味しい物体をわけあたえ、
仲良くなるきっかけをつくるこの行為は、
まさしく、片思いの女子中学生のバレンタインデーのごとき、求愛のテロリズムだ。

「お前はどうしたいんだ!?」
という、質問に対して、
「どんなヤツがやってこようとも、あらゆる手段を使ってでも、無理やりにでも仲良くなってみせる!」
という、問答無用の求愛行動によって、見事、その難を解決したのだ。

シチューをぶっかける知宏の精神状態がまさしくそうなのであるから、
いきなり、シチューをぶっかけられた人達は、

「シチュー・・・・・、うまかった。」

と、いうよりほかあるまい。呆然と、食べてしまうほかあるまい。
もはや、誰もが彼と仲良くならざるを得ない。
どれだけ嫌がって見せたとしても、あまりにもシチューが旨すぎる場合、そんな野暮な言い訳など通用しないのだ。


以上から、話を結論づければ?

 
たとえ、サムライ矢野風狂子が、プロレス界に乱入したとしても、
たとえ、闇の帝王粟野が、正統派レスラーに革命をしかけたとしても、
王者シチュー知宏の、必殺技、「しがみつかせて知宏」「シチュー爆弾」「吸いつつ知宏」の前においては、まったく手も足もでない、という事だ・・・。


おそるべし、知宏!!

彼こそが、地球最強のプロレスラーだ!



彼はついに、黒船の顔面にシチューをぶっかけた。
その黒い大砲に、デッド・キスをした。
黒船の、その、錨に、抱擁してしがみついてしまった。
無理やりにでも、仲良くなろうとしてしまった・・・。

こんなことをされたのでは、ペリーもビックリ!
「なんてフレンドリーすぎるやつなんだ!」
と、すっかり母国を忘れ、戦争を忘れ、嫌でも知宏と、友達になってしまうのであった。





以上の話から、真のプロレスの死闘において、
究極的な審判をつとめられる唯一の存在、それは、

「捨て身のテロリズムで求愛行動にせまる女子中学生」

に、ほかならないのであった。






本日の締めの一句


収拾のつかない事を素直にやる  祖啓

 



 


2012年12月11日火曜日

プロレス界最強!!『真・鉄塊衆名簿』


素晴らしきストーリーが誕生しました。

鉄の塊をぶちまけろ!!空想上 プロレス名鑑『真・鉄塊衆名簿』の完成です。(by トロピカル祖啓)

(※この物語は、すべてフィクションです。実際の鉄塊衆とは、何の関係もございません)


 




リングを去った、伝説のレスラー (計2名)


・矢野風狂子

「鉄塊」という、最強のレスラー養成機関の基礎を創設した伝説のレスラー。
戦闘能力の実力はもちろんのこと、レスラーの日々の生活管理や、レスラー同士の社交の場の秩序への配慮にも事欠かない、徹底した格闘家魂の持ち主。
ショー、見世物としてのプロレス界自体に限界と疑問を感じ、ある日、プロレス界から突如、引退を発表。
現在は、真の格闘家を目指すべく、矢野錆助と名を改め、在野に下り、質実剛健にバーリトゥードの道を歩むのであった・・・
観客へのサービスや新技の開発よりも、武士道を歩むことを旨とする求道者としての姿勢から、ドキュメンタリー本「矢野風狂子の今」「最強の九州男児」が発売され話題となる。大山倍達の生まれ変わりとも称された不世出のレスラー。
矢野風狂子の九州訛りは、獅子咆哮のごとく、図太く猛々しく、並みのへなちょこレスラーは、その声を耳にしただけで、縮み上がって一目散に逃げ出してしまうのだ。
そしてまた、口癖として「モモが腐っとる」と、なぜか言う。

 


・覇王粟野

数々の異名を持つ、覆面レスラー。
ヒール役を買って出ることが特徴であり、怪我を恐れない捨て身戦法を得意とする。
ヒール役のレスラーを続けることは、社会的に様々な複雑な影響を及ぼすため、現在は、とある事情から、表のプロレス界からは、姿を消した。
引退当時、北朝鮮拉致説、暗殺説など、様々なデマがとびかったが、現在は、裏の世界最強のプロレスラーとして、地下格闘技場への出場を目指している。
なにぶん、裏世界のレスラーなため、今現在のリングネームはおろか、日々の生活スタイルにいたるまで、すべてが謎につつまれている。
また、プロレス業界の裏金事情に精通しており、経済の常識を根本から覆してしまう、革命的な裏取引の方法を多数隠し持っている、根っからの勝負師でもある。
覇王粟野は、日常生活で出会う総ての人類に対して、決闘を申し込む性格ゆえ、数々の名勝負を行った実績があるのだが、やはり、とある裏の事情により、それらの名勝負は全て、放送禁止、出版禁止、闇に閉ざされる事となった。
突然黙祷を捧げたり、放浪の旅に出たり、俳句結社を発起したりと、立ち振る舞いの全てが、収拾のつかない事になっている。

 

 

 

 


現役「鉄塊」所属のプロレスラー (計8名)




・シチュー知宏 (平成24年度優勝)


平成24年度の日本プロレス界で、ついに見事優勝を成し遂げた、最強最大のチャンピオン。
シチュー技も多才だが、しがみつかせて技という、独自の必殺技を開発することにより、数々の不敗連勝記録を持つ。
特に最強の技である、「しがみつかせて知宏」で数々の対戦相手に無理やりにもしがみつき、見事、圧勝を続けてきた。
まさしく「鉄塊」を代表する、看板レスラーであり、次の新たな新技は何が飛び出すものか、日本中の誰もが注目しているところである。
チャンピオンの立場上、他のプロレス団体との交流も盛んで、日本プロレス青年団の名誉団長に殿堂入りを果たす。その様子は、各メディアを通じてトップニュースとして報道され、「シチュー!!シチュー!!」の大喝采とともに、日本中にシチュー旋風を巻き起こした。
ファンの声援に対して、感極まると、「お前はどうしたいんだ!?」と、突然、ファンの顔面に熱々のシチューをぶっかけ、チャンピオンだからこそ許される、ファン対チャンピオンのテロリズムを勃発させる。
ひとつ忠告をしておく。ヤツにしがみつかれたら、おしまいだ!

 


・ラッシュ藤井


筋肉バカになりがちである「鉄塊」において、唯一、社会性を兼ね備えた文武両道のレスラー。
プロレスの強さの追及のみでなく、もっとも機能的なリングの開発や、覆面マスクやパンツのファッションデザイナーとしても活躍するなど、多才な面をのぞかせる。
覆面の威力を十倍に引き出す得意技、「奇声ラッシュ」に歯止めをかけることは、伝説のレスラー矢野風狂子をもってしても難しい。
また、ラッシュ藤井は「約束KO」という必殺技を持ち、「何時何分に必ずお前を倒す!!」という宣言をする。この死の宣告を受けて、見事時間通りに倒されなかったのは、矢野風狂子ただ一人というのだから、約束レスラーよ、おそるべし!

 


・魔球古戸暢


かつてピッチャーとして、甲子園出場の経歴を持つ、さわやかスポーツマンレスラー。
矢野風狂子と同じく、九州地方出身で、甲子園球児らしく、努力と秩序を重んじる堅実なプレイが好評である。
野球を応用させた魔球技シリーズにより、数々の対戦相手を病院送りにしてきた。
対戦相手が矢野風狂子の場合、キャッチー役を、矢野風狂子に演じさせ、「九州男児甲子園」というショーを、リング上で展開させるなど、観客へのサービス精神が何よりも旺盛である。
また、プロレス界一の高学歴で、「パンツ凶器理論」という、世界初の研究テーマに没頭し、レスラーと科学者の仕事をかけもちにしている。残念ながら、「パンツ凶器学会」自体が、地球上には存在しないため、研究発表の場は皆無。一人孤高にも、凶器とパンツの法則を研究する日々に明け暮れている。
また、日ごろプライベートでも親交の深い、矢野風狂子、覇王粟野、魔球古戸暢の三人の事を、まとめて通称「そねだゆ」と呼ぶ。


・ハロー寝覚


若さを売りにした、朝寝坊技を得意とする、寝言レスラー。
寝言と挨拶を一体化させることにより、試合中、起きているのか、寝ているのか区別のつかない独特な行動で、審判のジャッジに数々の疑問を投げかけてきた。
もちろん、寝技を得意とするのだが、突然、寝床から起き上がり「ハロー!」と挨拶しはじめて観客の意表をつく寝言技が、真骨頂とする得意ジャンルだ。
審判殺しの異名をもつ寝覚は、試合開始そうそういきなり爆睡をしはじめ、夢遊病により、プロレス会場から外の路上へと乱入して戦おうとする。
また、テンカウントをとれば、気絶状態であるにもかかわらず、激しい寝返りをうち、頭突きで相手を逆転KOさせたりするので、どこまでが戦闘不能ととるべきか、極めて判断の難しいトリッキーなレスラーだ。

 


・スベスベ畦道


かつては、無所属の格闘家としてヤクザなケンカに明け暮れていたが、伝説のレスラー矢野風狂子に出会ったことにより改心し、レスラーとしての道を志す。
名前の通り、スベスベでソフトな肌触りが特徴で、男臭く毛深い対戦相手をなごませ、骨抜きにしてしまうのが特技。また、妻と猫を愛する家庭派レスラーでもある。
その反面、「スベスベマンジュウガニ」という猛毒のカニを、好物として平気で食べてしまう、ワイルドな二面性をあわせもつ。
また、口癖として「それはサイババの勝手なんですよ」と、意味不明なことをつぶやく。

 


・軍師玄齋


中国からはるばる、日本のプロレス界にケンカを売りに来た、向上心旺盛な知略派レスラー。
専属のコーチを持たず、自らが、自らの特訓スケジュールを組み立てて試合に臨むという、独自のスタイルから、異色のプロレス哲学を構築させた。
異色のプロレス哲学で、熱狂的なマニア層にファンを獲得し、ゲーム「三国志」において、「軍師玄斎」を隠しキャラとして登録させる動きが現在検討されている。
四面楚歌な状況になると、楚の項羽のごとく、オリジナルの漢詩を即興吟詠しはじめて、観客を独占!試合には負けるがファンを横取りにするという、反則的なワンマンショーを開始する。
また、パンツの中に、凶器として常に「孫子の兵法書」を隠し持っている、根っからの職業軍人だ。

 


・トロピカル祖啓


人間技とは思えないような怪しい技を開発しすぎ、
レスラーとしてよりも、怪人として世間を度々驚かせることとなった妖怪レスラー。
覆面をつけないで、普段着のまま歩いていても、怪人と映ってしまうところが特徴で、むしろ、リング上で戦っている時の姿のほうが、安全で平和な状態ともいえる。
一説によれば、レスラー、怪人としての姿すらも仮であり、
「ヤツの本当の真の姿は『忍者』なのではあるまいか?」
と言う噂も耳にするが、何分、あまりにも時代錯誤すぎる噂なため、誰にも本気にはされていない。
鳴き声として「ウッキー」という言葉を多用し、リング上で必死さが増してある一線をこえると、「ウッキィーーーッ!!ウッキィーーーーーーッ!!!」と、悲痛な叫び声をあげる。
また、トロピカル祖啓は、覆面をかぶると「ひょっこり仮面」という、さらに怪しい怪人へと変貌し、きゅうにおとなしく無口になり、人見知りをしてしまう。
そしてなぜか、メールアドレスが、sokeidaizenzu(祖啓大禅師)という当て字で構成されているのだから、もう、どうしようもないやつだ。
この生き物の、正式名称は「バグ」。




・カタツムリ鴨芹


新米レスラーとして、おそるおそるも、汗臭い筋肉のひしめく「鉄塊」に参戦を申し出た、志願兵レスラー。
新興宗教「カタツムリ教団」の幹部で、レスラーとしての生活信条よりも、「カタツムリ教団」の教義を布教することを真の目的としている。
これからの活躍が期待されるところだが、「カタツムリ教団」と「鉄塊」との方向性がずれないでいてくれることを祈るばかりだ。そのためにも今後、教祖カタツムリの暴走がないことを祈る。




※編集者 中筋祖啓記者の感想 

 

はなむけの一句

・たくましきプロレスラー どこもかしこもプロレスラー  祖啓

 

とにかく、みんな、すごく強そうです!

あなたは、どのレスラーと戦ってみたいですか?

2012年11月24日土曜日

ごあいさつ

 このたび、鉄塊に参加させて頂くことになりました本間鴨芹と申します。
 入ったばかりでこのような話もアレなのですが、『鉄塊』に入会するには?によると、50歳で退会(卒業)とあります。このままですと自分が年齢による卒業第一号となります。そんな年齢制限ぎりぎりの時期に参加させて頂くことになったのは、縁というしかありません。

 鉄塊には「尖った」イメージを持っています。何が尖っているのか上手く説明はできないのですが、尖っているように感じます。ところが自分は全然尖っていない。お腹も年齢相応に弛んでいます。このままじゃいけない、鉄塊のイメージを壊してはいけないと、今は毎日ヒンズースクワットに取り組んでいます。取り組むポイントを間違えているような気もしますが、でも真剣です。もちろん句作も。

 今年の2月から句作を始め、5月からは「海紅」にお世話になっております。そして鉄塊。少しずつフィールドを広げ、自分を試し鍛えていきたいと考えておりますので、どうぞ皆様、厳しい目を注いでいただきますようよろしくお願いいたします。

2012年11月18日日曜日

鉄塊版ミニ歳時記『秋』『冬』

歳時記を作っている側の人間の立場を体験したい、と、ふと思いまして、
唐突ですが、鉄塊版ミニ歳時記を編集させていただきます。

もし、何か、鉄塊衆の皆様も、『秋』『冬』の歳時記で、何か書きたい項目がございましたら、
遠慮無しに、記事の後ろ、または、コメントでもかまわないので、
ご自分の好きな季語を、勝手気ままに付け足して書き込んでいってください。

(これをやろうと思ったきっかけは、写真家に梅千代さんって方がいて、この人の本を読んで「面白いなあ!!」って、マネしたくなったのがそもそもの本ネタです。 投稿者 祖啓)

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『こたつ』 冬  投稿者 祖啓
日本人の古き良き伝統を受け継ぐ、一家団欒の象徴。
こたつ + みかん + 猫 = 廃人
という方程式が生まれる、脱力的ブラックホール。

『雪』 冬   投稿者 祖啓
・いく度も雪の深さをたずねけり  子規
が、なんか良かった。
雪は「再会」をイメージさせる。

『やかん』 冬   投稿者 祖啓
カッコイイ!!
デザインも、存在も、利用価値も!
全てにおいて、パーフェクトな存在。

『紅葉(もみじ)』 秋  投稿者 祖啓 
「紅葉か・・・・、アイツかあ・・・・。」
と、必ず、哀愁を運んでくる、なんとなく悔しい存在。みんなにとっての旧友か?


『雪見だいふく』 冬  投稿者 祖啓
幼少期より、何かしら、センスの良い食べ物として評判が高い。
たかがアイスなれど、どうしてこういう姿、味、パッケージとなったのか極めて興味深い。

『柿』 秋  投稿者 祖啓
やたらと色が良い!!
あとは、種が魅力的なのも、曲者だ。

『モズ』 秋   投稿者 祖啓
「憎まれっ子世にはばかる」ということわざを、その奇声をもってリアルに体現してくれる、農村界のジャイアン、スネ夫。
何だかんだいっても、こいつの奇声が鳴り響くから、農村部の豊作が、より豊作として祝福されている事は否めない。モズこそが、稲穂の国、日本の豊作を、第一声に喜んでいる。狂喜してくれているのだ。


『讃岐うどん』 冬  投稿者 祖啓
冬になったら、讃岐うどん。他の追随を許さない!

『りんご』  秋  投稿者 祖啓
・私は真っ赤なリンゴです~♪   童謡(りんごのひとりごと)
と、童謡(りんごのひとりごと)にもあるように、それにしてもリンゴは可愛い。
うーん、可愛い。可愛いぞ!!


『はんてん』  冬  投稿者 祖啓
夫がはんてんを愛用していた場合、その妻は必ず、もんぺを着なければならない、というルールがあったら良いのだが・・・。


『スキー スケート スノーボード』   冬  投稿者 祖啓
運動神経の悪い若者の、社交性や、世間体適応能力を図るために設けられた公的免許資格機関。
1級 スノーボード 2級 スキー 3級 スケート
と、ランクが別れ、運動神経の悪い若者に、何年に一度か、様々な試練と葛藤を与えてくれる。

2012年10月29日月曜日

闇鍋ゲームについて


 
さて、次回の11月には、鉄塊句会の番外編企画としまして、
「言葉の闇鍋ゲーム」なる得体の知れないゲームが、開催されます。

これのルールについては、以下のページに説明がなされています。
http://haiku-free.blogspot.jp/p/blog-page_16.html

このゲームを、企画開催するまでの道のりは、発案者である私自身も、極めてとんちんかん。極めて意味不明な衝動からこれを思いついたのですが、開催が間近になって来ましてやっと、論理的にもこのゲームの意味を説明できるようになってきました。

「何故、こんなわけの分からないゲームを思いついたのか?」

それは、

     私のひとつの仮説として、

すべての文章を、すべて、ひとつの名詞として、捕らえる事ができるからだ。という論理につながる事に気がつきました。

思えば、文章に、主語と、述語と、動詞がある。という定説は、本当は、サルや鳥や昆虫からすれば、そんなものは、人間が後からつけた言い訳にすぎないのかもしれない?ただの屁理屈にすぎないのかもしれない?
文法の一切の基礎、国語教科書の洗脳を取っ払ってしまった場合、この世の全ての文章は、そもそもは、「名詞」でしかない!?

いかなる文章も、名詞でしかない・・・!???
さあ、これは大問題です。

「おはようございます。今日も寒いですねえ」
という、ひとつの名詞。

「ニイタカヤマノボレ1208」
という、ひとつの名詞。

「種田山頭火」
という、ひとつの名詞・・・。

基本的にすべての人間ひとりひとりに個別に、親から名づけられた名前がついているという不思議を、ちゃんとマジメに考えた事が無かったのですが、これこそが、まさしく今回の闇鍋ゲームと同じ現象に向き合う問題であり、タウンページをパラパラとめくって人の名前だけを眺めた場合、極めてランダムに、極めて意味不明な文章が、膨大に自分の目の前に広がっていく事になるのですが、やはり、その中でも、見る人によって、その名前を見た時に、「パッ」と、その人のセンスのよさに、目をみはるものがございます。

これと同じ現象が、人間がお店で買い物をするときであり、本屋さんで、本の側面に書いてあるタイトルのみで、本を選び出す。また、コンビニで、モノを買うときにその商品のパッケージだけで、その商品を選び出します。

わたし自身、このゲームの開催例に出した言葉に

・うまい棒
・ボコスカウォーズ
といった、商品名を選んだ理由はここにあります。これらは、つまり、この世の全ての文章は、ひとつの名詞として鑑賞する事ができるからであり、その場合において、「ネーミングセンスのよさ」というものから、人が人を感動させる事ができるのであり、本当に自分の脳みそに大切な言葉は、一見、いかに意味不明なものであろうとも、ちゃんと脳に染み付いて、感動する仕組みになっているようです。

「ボコスカウォーズって、なんだ!!?」
と、出会ったその時から、そのネーミングのセンスのよさに脳が釘付けになります。

また、外国語を勉強する際も、やはり、外国の文字を一文字一文字勉強するところから全てが始まるのですが、この作業においても、この世のすべての文章は、そもそもは、名詞でしかないのかもしれない?という問題に、否が応でも向き合わされる事となります。γだとか、βだとか、矧だとか、日常見慣れない文字と真剣に向き合えば、そもそもは、すべてを名詞としてみる作業が、必ず脳の中で行われます。

以上の論理を、
「分からない文章を真剣に脳が理解しようとした場合、人間は、すべての文章を、ひとつの名詞としてとらえる。」
と、集約してみましょう。

ニーチェやカント、ランボーといった、この世のものとは思えないような、意味不明な長文を書き残した場合が最も分かりやすいのですが、私からすれば、ニーチェやカントやランボーといった人の書き残した文章は、あまりにも意味不明すぎるため、ニーチェ、カント、ランボーというひとつの名詞として、その文章のイメージ、感性が余韻として残されていく傾向にあります。

また、
「おはようございます」
「さようなら」
「ありがとうございます」
といった、挨拶についても、これも、やはり、分解していけば、「おはよう」と「ございます」を文法的に分けて、さらにその意味を細かく説明することができますが、使う人間の立場からすれば、これらも、文法的な解釈は、後から学者がつけた屁理屈なのであり、そもそも、どの挨拶も単体上の名詞でしかありません。


以上の説明から、どのような長文を書いた場合でも、パッと見て、一目見て、その人のセンスを見極めるという作業を行うのであれば、すべての文章は、そもそも、すべて名詞でしかない、という話につながります。

さらに言えば、人間が本当に感動をしている時、まずは最初に「名詞」という感覚として、その出会った感動を、そのままに表現するのではなかろうか?脳みそは、そんな作りになっているのではなかろうか?という気がします。

「これは・・・・、『相対性理論』だ!!!」
「この生き物は・・・・、『ミソサザイ』だ!!!」

と、あたかも、新発明。あたかも新種の生物を発見したかのような大興奮。感動をした場合、脳みその中が、まずはじめにそれらの感動を「名詞」として名づけたがるのではないか?と私は思うのです。

ボコスカウォーズを作った人は、このゲームソフトに対して、

・これは・・・・・「ボコスカウォーズ」というゲームだ!!!

という大興奮を発して、この名前を世に送り出したのだし、また、世界中の人間に名づけられている、そもそもの人名は、

・この子は・・・・「○○○○」だ!!

という、親の熱い想いのもとに、これだけのランダムな名前が埋め尽くされているように思います。

新しく出会った感動に、新しい名前を名づけるという事が、人間をもっとも感動させる行為であり、また、感動した場合、その言葉がひとつの名詞として独り歩きをする事にもつながります。

     古池や蛙飛び込む水の音

この句などは、松尾芭蕉という作者をとおりこして、これ自体がすでに、ひとつの名詞として独立した、確固たる地位を築いてしまっているように思えます。


 
さあ・・・・・・・、なんとも目がテンになってしまうような長い説明になってしまいましたが、
今回の企画に関しましては、やはり「ことばあそび」と思って参加していただければ光栄です。




「分からない文章を真剣に脳が理解しようとした場合、人間は、すべての文章を、ひとつの名詞としてとらえる。」

というルールの遊びなんだ、としてとらえていただければ、きっと、各自、何らかのヒントが得られるのではないか?と、思う次第です。

以上を踏まえまして・・・・・・、

闇鍋パーティーを開催いたしましょう!!






2012年9月10日月曜日

『ノイズ!ノイズ!ノイズ!』

 以前、何かの本で「チンパンジーの笑顔は恐ろしい」という記述を目にしたことがあった。何でも、その著者が語るには動物の笑顔を見ると、そこに人間が失ってしまった野生の中の狂気を垣間見てしまい、彼はどうにも恐ろしくなるのだという。だから、その著者は老若男女の誰もが可愛い、面白いと表現するチンパンジーの笑顔を見ても、大口を開けて鋭い犬歯を剥き出しにして笑う姿に狂気を感じるのだそうだ。

 俺は目の前に座り、嬉々として話をしているドンキーの笑顔を眺めながら、頭の片隅でボンヤリとそんな事を思い出していた。ドンキーとは、俺のガキの頃からのツレのアダ名で、その由来は勿論、任天堂が生んだ『マリオ』と並ぶ人気キャラクター『ドンキーコング』から来たモノだった。因みに、俺のツレのドンキーは任天堂の『ドンキーコング』の様に人気者では無い。どうにも頭が悪い上に、そのツラは二目と見られたもんじゃ無い程に不細工だったし、なんと言っても、奴の極度な斜視っぷりは、初対面の相手が大抵、目のやり場を無くして困り果てる程のシロモノだった。
 しかしながら、神様とは粋な野郎で、そんなドンキーには人並み以上の腕力を与えてくれた。ところが神様の仕事ってヤツは、何故かいつも片手落ちで、ドンキーはその人並み外れた腕力と引き換えに、理由無き暴力を振るう事に何ら躊躇いを必要としない想像力の欠如した精神構造を持って生まれてきていた。つまりドンキーとは、そんな男だった。だからドンキーはいつだって暴力によって群れを統べる事の出来る世界に身を置いていたし、実際そんな世界こそ、彼が最も生きる意義を見出せる世界だった。
 それにしても、その日のドンキーは上機嫌だった。話題は昨夜の出来事ばかり。ドンキーは、さも面白くて仕方が無いといったカンジでビールを呷りながら、その話を続けていた。
「昨日はどうにも寝苦しかったからよ、何人か呼びつけて河川敷の辺りをブラブラしてたんだよ。そしたら河川敷の駐車場の隅の方に車が一台、エンジン掛けて停まってんじゃねぇか。さあ、楽しい時間の始まりだぜ」
 話しながらも込み上げてくる笑いを堪えきれず、ドンキーは「ヒヒヒヒ……」と、会話を遮る思い出し笑いを漏らし続けた。
「俺は、ピンと来たからよ、スグに上半身裸になって、他の全員にもシャツを脱ぐ様に命令したんだよ。そして、全員が脱いだシャツを川の水でビシャビシャに濡らして、静かに車の周りに近付いたんだ。そしたら、案の定、車の中で若いカップルがイチャ付いていやがたからよ、だから、この俺様が仕置きしてやったんだよ。アハハハ……」
 ドンキーと俺は水滴で濡れた瓶ビールを互いに手酌しながら、安居酒屋の油で汚れたテーブルに所狭しと並べられた焼き鳥を次々に口の中へと放り込んでいった。俺達は育ちの悪さから来るものなのか、どうしてもガツガツとした意地汚い喰い方しか出来無い。犬の様に餌をがっつき、酒を浴び、キチガイの様に吠えるばかりだ。我ながら嫌になっちまう。向かいに座るドンキーのツラを見ると、ビールの酔いで充血した奴の目玉が、下品な笑顔で話し続けるその話に何処か狂気じみた熱が帯び始めているのを感じさせた。
「俺達がソッと車を取り囲んだから、車ん中のカップルは俺達に気付きもしねぇで、スケベな事で頭が一杯になってやがんだよ。恥ずかしげも無く抱き合ってやがる。俺達は一斉にバチャバチャと濡れたシャツをフロントガラスに叩きつけて貼り付けると腐れカップルの視界を遮ってやったんだよ。そのまま俺達は滅茶苦茶にドアやボンネット、天井なんかを力任せに殴ったり蹴ったりしてやったワケさ。笑えるだろ?」
 ドンキーはコップに残ったビールを一気に飲み干すと、気持ち良さそうにゲップを一発済ませて笑った。
「たまんねぇだろうな、天国から一気に地獄だぜ。何が何だか解らなかったんだろうよ、慌てて車から男が転がり出てきたから、俺がイキナリ、ソイツの鼻っ面を思いっ切り蹴り飛ばしてやったんだ。そしたら、鼻っ面蹴飛ばしたつもりが、どうも前歯を折っちまった様で、口ん中を血だらけにしてるわりにゃあ、鼻血を一滴も垂らしていやがらねぇんだ、だから、もう一発顔面に喰らわしてやったよ。今度はキレーに入って、笑えるぐらい鼻血を出してくれたねぇ。『あーっ、あーっ』なんて言いながら地面を転がってるから、笑った笑った。他の奴が腹の辺りを蹴り飛ばしたら、蹲って亀みたいになりやがったから、後は全員で袋にしてやったぜ」
 ピチャピチャとドンキーは指先についた油をしゃぶっている。
「女の方はどうしたんだよ」
 俺は手羽先に喰らい付きながら話の先を促した。
「聞かなくても解ってんだろうがよ。へへへ……。結構イイ女だったぜ。一、二発頬を張ってやったらチャンと言う事を聞く様になったからな。イチャイチャしてたわりには、全然濡れて無くて、最初ちょっとだけギシギシしたけど、三回も深く衝いてやりゃあ滑りも良くなって、しっかりグチュグチュとヤラしい音を立てたぜ。ただムカつく事にその女、一回も声を出さねぇんだよ」 「アンタが下手なだけじゃねぇの?」
 俺が茶々を入れると、ドンキーはゲラゲラと更に大きな声で笑った。
「でもよ、男の方はイイ声で鳴いてたぜぇ。『ごめんなさい、ごめんなさい』って、テメェの女が犯されてる間中、蹲って謝ってやがるの。ヒャハハハ……」
 ドンキーは涙を流さんばかりに大笑いしていた。
「お前も今度、一緒にやってみたらどうだ?」
「俺はパスだよ。その内、捕まってもしらねぇぜ」
 ドンキーはビールを呷ると、ニヤニヤしながら俺のコップにビールを注いだ。
「これはやったもんにしか解んねぇんだよ。何ちゅうのかよ。祭りなんだよ、祭り。頭ん中にさ、祭りの時みたいにスピーカーからガンガン流れる陽気な音楽や人の笑い声、話し声が聞こえるんだよ。車のクラクションや蝉の声も聞こえる。あのグラグラと全身が湯だって頭ん中が沸騰してる様な感覚、浮かれた祭囃子を体感しちまったら、何も無い日が死んじまってるみたいに無味無臭、カラッカラに乾燥して、カラーじゃ無い白黒の世界に見えちまうんだよ。それは、どうしようも無く糞つまんねぇんだよ」
 俺はドンキーに注がれたビールの泡を見詰めながら「この世間で真っ当に生きていくにゃ、そいつがノイズだって事に気付かなきゃ駄目なんだぜ、ドンキー……」と心の中で呟やいていた。次の瞬間、俺はそのビールを一気に呷ると、ドンキーに向かって言い放った。
「俺は、アンタと違って大人になったんだよ!」
 ドンキーは「アヒャヒャヒャハハハ……」とキチガイの様に哄笑すると、鉛の様に重い拳で俺を思いっ切りブン殴った。殴られた俺はビール瓶や焼き鳥の並んだ皿を薙ぎ倒して椅子ごと後ろにフッ飛ぶと、そのまま固い床の上に転がった。ゴツンと激しく後頭部を床にブツけると、成る程、ガヤガヤと俺の頭ん中にも不愉快なノイズが流れ込んでくるのが理解出来た。


  なにもかも月もひん曲つてけつかる  栗林一石路



2012年9月3日月曜日

言葉のバカップルの誕生


言葉のバカップルの誕生について  記者 (中筋 祖啓)

趣味 すばやさ 
かつて、海紅の句会にて、「趣味 すばやさ」という句を投句したのですが、
その時は、さほど、目立つことなくそれなりに終わってしまいました。

が、しかし、やはりこの句が何故か異常に心地よく、
ここ最近、「うーん、やっぱり、趣味 すばやさだ。」
と、一人で思い出し笑いをする習慣が抜けきれなくなってしまっていました。
なぜか、「趣味 すばやさ」については、思い出し笑いが留まる所が無い。
その原因について、今回のVT句会に参加して、皆さんの句評を読むにいたり、
「どうやら、これは、言葉のバカップルを発見したようだ!」
と、さらに笑いはじめる事態になってしまいました。

「趣味」という概念と、「すばやさ」という概念が組み合わさることは、通常ありえないので、
これは、あきらかにバグなのですが、
しかし、もしも、本当に、すばやく動くこと自体を趣味だと定義してしまうことができたなら、
これは、尋常でなく、楽しい毎日が続く事になります。

・服を素早く着替えるのが、趣味
・階段を素早く駆け上がるのが、趣味
・人との打ち合わせを素早く確認するのが、趣味
・排便を素早く行うのが、趣味
・早歩きが、趣味

どこもかしこも、趣味だらけ、こんな面白い事は無い。
「長所 すばやさ」としなかった原因は、私自身は、他人と比較すると、
実は大変にドンくさい人間で、全くすばやくなど無いので、とても「長所 すばやさ」とは言えないからです。
あえて意識して急いでいないと、周りのスピードについていけないのです。
基礎スピードが人よりも遅いため、素早く動く事を、あえて意識し続ける必要があった。
それならいっそのこと、素早さを趣味にしてしまえば、あら不思議!尋常でなく楽しい毎日。

さて、句の解釈はここまでで、これからが本題です。

・言葉のバカップルの誕生とは?

ちょっとおかしな組み合わせだが、何故か、腐れ縁と言いますか、無性にはずすことができない言葉のカップル。

いきなり話が飛びますが、ちょうど、お笑い芸人のオードリーって、すごいバカップルだなあ、と日ごろ思っていたのです。
春日と若林は、普通の概念で考えてみると、はたしてコンビとしてちゃんと機能しているのかどうなのか?
理屈では測れないおかしな状態になっているのですが、
「このコンビは、バカップルだ!」
と、解釈するならば、こんなに腐れ縁で仲の良いお笑い芸人も他にいなさそうだな、と思いました。
お互いの長所よりも、むしろお互いの短所のほうが上手い具合に相性よく通じ合っているような構図になっていて、だから、漫才の能力云々とかよりも、お互いの性格の短所を補いあう相性の良さから、オードリーは別れないのだろうと。

以前、私の詠みました
・大食卓帝国陸海軍
という句も、やはり、言葉のバカップルであることになります。

大日本帝国陸海軍 + 食卓 = 大食卓帝国陸海軍

という組み合わせは、表面上は、バグっていて、なんのこっちゃ?となるわけですが、
しかし、これが、どうも、腐れあう。腐れあう。

食卓が広大に、帝国のように、栄えている様。
軍事国家のように、安定することなく、栄えては滅び、栄えては滅びる。食卓が。一日三回も。火に焼かれ。欲に食らわれ。金を掛け。生き物を犠牲にして。

食卓が・・・!!

うーん、これは、やはり、バカです。
けれども、たしかに、「大食卓帝国陸海軍」なんとなく、そう呼びたくなるのです。
この現象が、言葉のバカップル。

言葉のバカップルとは、表面上の相性の悪さを補うくらいに、
裏の腐れ縁の部分での相性の良さから、言葉と言葉がくっついてしまって離れなくなった、
なんとも、滑稽かつ真剣な状態をさすようです。
言葉達も、文体の秩序を維持するためや、読み手の思いを伝えたいといったため、色々と大変なようで、時として、バカップルにならざるを得ない。

滑稽かつ真剣。真剣かつ滑稽。

よって、ここに、言葉のバカップルの誕生を認めたいと思います。

バカだけど、くっついちまったんだから、しょうがあるまい、祝ってみようか!と、こうなりました。

関係ないけど、最後に「洒落男」という名曲を添付いたします。

2012年8月24日金曜日

近作と小文

『鉄塊』畦道、近作です。

『赤色灯』五句 



友達が刺され太った女が駆けつける


実柘榴のような拳で悔しい


一斉に包囲され百日紅だけ白かった


この墓に入るか迷う


ねだったシャツに袖通した先が秋




 二十年ほど前、ちょっとした刃傷沙汰に巻き込まれたことがあった。ひとりが軽傷を負い、加害者は逮捕された。現場が片付いた頃、顔見知り程度のある女性が所在なく辺りをうろうろしているのを見た。偶然通りかかった、という風ではない。私は、何故きみがここに、と尋ねた。加害者の恋人だった。加害者と私は古い付き合いだったが、彼女と交際しているのは知らなかった。その場に居た数人と彼女とで、喫茶店に行ったのを覚えている。テレビゲームの上で、アイスコーヒーを飲んだ。しかし何を話したのかは全く記憶にない。加害者とも彼女とも、それきり会っていない。
 
  
 ご高覧、感謝致します。

 松田畦道拝