弟を裏切る兄それが私である師走 碧梧桐
◆コンプリート句
弟を裏切る兄それが私である師走 碧梧桐
正月の日記どうしても五行で足りるのであって 碧梧桐
霙れるそのうなぢへメスを刺させい 一碧楼
◆互選集計
(7点) 弟を裏切る兄それが私である師走 ◎◎○○○○●△△(コンプリート!)
(5点) 冬夜の一室の醜き女らよ許す ◎○○○△△
(4点) 闇から来る人来る人この火鉢にて煙草をすひけり ◎○○△
(3点) 正月の日記どうしても五行で足りるのであって ◎○○●△△△△(コンプリート!)
(3点) 火燵の上の履歴書の四五通 ◎○△△
(3点) 夜行列車一人の口のみかん汁垂れたり ○○○△△△
(3点) 冬の日のお前が泣くそのやうに低い窓 ○○○△△
(3点) 最後の話になる兄よ弟よこの火鉢 ○○○
(2点) 霙れるそのうなぢへメスを刺させい ◎◎○●●●△(コンプリート!)
(2点) ふくろうよ妻が一日寝てをり ◎△
(1点) 障子あけて雪を見る女真顔よ ○△△△△
(1点) お前の正直な日がくれて夏座布団 ○△△△△
(1点) 百合のゆうぐれが来るいつまで拗ねる ○△△△
(1点) さるすべり咲きひるなか電燈ともり ○△△
(0点) 反抗期で時にはなぐりたくもなるそのまなざし ○●△
( 1点) 炭の立ち消え妻を呼びたる ●△△△
( 1点) 靴磨き梅雨は仕事にならず墓参りにこの寡婦 ●△△
( 1点) 女の児真白いマント着て近より来る ●△
(無点) 砂山に日を浴びて師走の君と △△△
(無点) 畳に河鹿をはなしほうほうと言ふて君ら △△△
(無点) 冬の夜の我が持ちて人形の眼の動く △△△
(無点) 強い文句が書けて我なれば師走 △△
(無点) みなは寝し仏壇とぢてひと夜の蒲団に入る △△
(無点) 庭に下りて手を出して子野羊の頭を押すや △△
(無点)子ら迎へ火おもしろく彼の家この家 △△
(無点) 真赤なフランネルのきもので四つの女の児 △△
(無点) お前の歩むさくらの樹には桜の実 △△
(無点) 十三夜の酔ってゐる我は雨をついて出でけり △△
(無点) 庭師二日来て庭明るしかたばみ水霜の雫 △
(無点) 人のけはい暮方の降りて消ゆる雪 △
※以上全30句。特選(◎)2点、並選(○)1点、逆選(●)-1点として集計。△は無点。
◆作者紹介
【河東碧梧桐】
障子あけて雪を見る女真顔よ
火燵の上の履歴書の四五通
強い文句が書けて我なれば師走
最後の話になる兄よ弟よこの火鉢
弟を裏切る兄それが私である師走
正月の日記どうしても五行で足りるのであって
1873-1937 愛媛県生まれ。本名、秉五郎(へいごろう)。正岡子規門の高弟。高浜虚子と対立、定型・季語を離れた新傾向俳句を提唱。全国行脚して「三千里」「続三千里」をまとめた。のち自由律、ルビつき句など句風は変遷した。
【喜谷六花】
子ら迎へ火おもしろく彼の家この家
畳に河鹿をはなしほうほうと言ふて君ら
みなは寝し仏壇とぢてひと夜の蒲団に入る
庭師二日来てt庭明るしかたばみ水霜の雫
反抗期で時にはなぐりたくもなるそのまなざし
靴磨き梅雨は仕事にならず墓参りにこの寡婦
1877-1968 明治~昭和時代の俳人。明治10年7月12日生まれ。東京下谷の曹洞宗梅林寺住職。河東碧梧桐に師事。俳誌「海紅」に属し、自由律の革新派として活躍。
【小沢碧童】
砂山に日を浴びて師走の君と
さるすべり咲きひるなか電燈ともり
炭の立ち消え妻を呼びたる
百合のゆうぐれが来るいつまで拗ねる
ふくろうよ妻が一日寝てをり
十三夜の酔ってゐる我は雨をついて出でけり
1881-1941 明治-昭和時代前期の俳人。明治14年11月14日生まれ。河東碧梧桐に師事し、東京上根岸の自宅を骨立舎と命名して俳道場とした。「日本俳句」「海紅」で活躍。
【瀧井孝作(折柴)】
人のけはい暮方の降りて消ゆる雪
お前の正直な日がくれて夏座布団
庭に下りて手を出して子野羊の頭を押すや
真赤なフランネルのきもので四つの女の児
お前の歩むさくらの樹には桜の実
夜行列車一人の口のみかん汁垂れたり
1894年-1984年 日本の俳人、私小説作家。俳句を河東碧梧桐に師事し、小説を芥川龍之介、志賀直哉に兄事した。文化功労者。
【中塚一碧楼】
霙れるそのうなぢへメスを刺させい
冬の日のお前が泣くそのやうに低い窓
冬の夜の我が持ちて人形の眼の動く
闇から来る人来る人この火鉢にて煙草をすひけり
女の児真白いマント着て近より来る
冬夜の一室の醜き女らよ許す
1887-1946 明治-昭和時代前期の俳人。明治20年9月24日生まれ。新傾向自由律俳句をつくり、明治44年「試作」を刊行。大正4年河東碧梧桐とともに「海紅(かいこう)」を創刊、のち主宰。
以上、五名。
