趣味=すばやさ
はじめて手にした海紅誌において、この句を読んだときの衝撃をいまでも忘れない。若い頃、私は「趣味、けだるさ」を自称していた。だから句意もはっきりと伝わってきたのだ。「まさか、これが句になるとは」正直、やられた感に打ちのめされた。以来、私は祖啓さんの句から目を離せないでいる。ちなみに、表記としては「趣味 すばやさ」と「趣味、すばやさ」もあるようだ。個人的には「趣味、すばやさ」が一番気に入っている。みんな居るまぶた押し開け見えている
これも私の若い頃を思い出した句。友人の部屋で仲間たちと飲んでいた時だ。眠くなって寝てしまい、ふと目を覚ますと誰々はまだアツく語っている。その光景はまだ夢の中にいるかのようにぼやけているのだ。手袋に流罪
なぜか手袋の片手の方だけ無くした経験があるのは私だけではないだろう。この句では、それを「流罪」と表現している。一体、どんな罪を犯したのだろうか。そしてもしも片方だけが「流罪」の場合、もう片方はどうなるのだろうか。蜂の為に止まる
目の前に蜂がいる。相手を刺激しないようゆっくり通ろうとするにも関わらず、なぜか近寄ってきたりと行動が読めず立ち往生してしまうことも。この句を知ってからは、脳裏にこの句が思わず甦ってしまう。こういう句からも祖啓さんの観察眼の鋭さを感じてならない。森から登場 鳥の陣
一斉に森から飛び立つ鳥の群れを想像した。実際にそういう光景に出くわしたことがあるだけに、容易にイメージできた。しかし、実際には違うのかもしれない。そこが祖啓句の奥ゆかしさなのであろう。※「海紅」平成二十四年八月号~十月号より