2012年7月2日月曜日

第二回 研鑽句会


最高得点句
かなかなよ、おれはなんにもいらない氣がする

最低得点句
富士が雪を着た朝の中学生達である
寂しい海が見えるせのびする


互選集計

(15点)かなかなよ、おれはなんにもいらない氣がする◎◎◎◎◎◎◎○
(4点)何時も米やる雀が覗いて鳴けり◎○○○●
(3点)百姓大きな鍋をみがき月光流るる○○○
(3点)うちへ來る下駄が雪をおとしてゐる◎○
(2点)字引の字が細かくてもう寝よう○○
(2点)栗などむいて夜の長うなった身内ばかり○○
(2点)乞食しかられて出る外は日のぬくし○○
(2点)逞しき犬に曳かれて海見ゆる草原○○
(2点)黙って糸巻く母と夜が長うなった○○
(2点)魚のうろこもまじる銭出して数える○○
(1点)蝉が雀に追はる夕立の後の夕焼○
(1点)聲あるかぎりさけび山にこたへられる○○●
(1点)海風の石切場ですっぱい蜜柑たべてる○
(1点)山をひらく人あり冬の鶏を鳴かせ○
(1点)病人つられゆく強き陽の初夏○
(1点)石くずの中にきざみあげたる佛をすわらせ○
(-1点)冬はしみじみわが貧乏ねずみがかぢる●
(-1点)病みてことしも軒の雀が藁をくはへてきます●
(-1点)海風穏かな初冬の埋立工事●
(-2点)富士が雪を着た朝の中学生達である●●
(-2点)寂しい海が見えるせのびする●●

※特選(◎)2点、並選(○)1点、逆選(●)-1点として集計。

作者発表

【大内一翠朗(1891-1929)】
二つ三つはいろよき杏のつつみを解く
栗などむいて夜の長うなった身内ばかり
寂しい海が見えるせのびする
萩の花ももうしまひの腰かけ
黙って糸巻く母と夜が長うなった
魚のうろこもまじる銭出して数える

【小林 實(1905-1933)】
たにしひろひは唄うでもない霞んでゐる
座って箸とる青うなる庭土の見え
うちへ來る下駄が雪をおとしてゐる
すぐかげるひなたへ消炭ほした
かなかなよ、おれはなんにもいらない氣がする
病みてことしも軒の雀が藁をくはへてきます

【澤木 勅(1907-1928)】
字引の字が細かくてもう寝よう
富士が雪を着た朝の中学生達である
海風穏かな初冬の埋立工事
海風の石切場ですっぱい蜜柑たべてる
逞しき犬に曳かれて海見ゆる草原
はたと停電してしまった火鉢ある

【三留旭洋(1900-1927)】
風鈴音をたて葉ばかりの藤棚
百姓大きな鍋をみがき月光流るる
冬はしみじみわが貧乏ねずみがかぢる
聲あるかぎりさけび山にこたへられる
山をひらく人あり冬の鶏を鳴かせ
石くずの中にきざみあげたる佛をすわらせ

【吉田紫池浪(1902-1921)】
蝉が雀に追はる夕立の後の夕焼
何時も米やる雀が覗いて鳴けり
乞食しかられて出る外は日のぬくし
雨そそぐ大藪を背に陶作り
うれしき犬が青葉の風にふかれもどる
病人つられゆく強き陽の初夏

※五十音順

26 件のコメント:

  1. かなかなよ、おれはなんにもいらない氣がする(15点)

    【句評】
    ◎「初めてみた。一瞬、軽く眩暈がした」
    ◎「自由律俳句には、私小説的な一面があると思う。有季定型の世界では、『私』『我』などは極力、句の中に詠み込まない方がよいとされる。しかし、自由律ではどうか。この素朴な一句の中、見事に、荒々しいまでに『おれ』が屹立している。貧乏人のやせ我慢のようでもあるが、堂々たる態度」
    ◎「これが、一番印象に残りました。そうだ、そうだ、ヒグラシって、そんな気持ちにさせられる。なぜか・・・。その「なぜか?」、に着眼している秀句」
    ◎「情景が一番思い浮かべやすいです」
    ◎「『かなかな』ということなので蜩だろうと思うのですが、そうなると時間は日暮れでしょうか。早朝に鳴くこともあるそうですが。その蜩の鳴き声に『なんにもいらない氣がする』と呼びかける『おれ』の、満足とも諦めとも取れる複雑な心境が好きです」
    ◎「ベタな句ではあると思う。しかし今回の全30句中、最もどうしようもない自分が曝け出されている句の様な気がした。技術云々、俳句性云々を越えて、最終的に一番心打たれたこの句を特選と決めた」
    ◎「自由律俳句ではコンマの必要性が何度も議論されるが、場合によっては使ってもいいと思う。この『、』に作者の葛藤や諦念や居直りが渦巻いたからこそ、この結論に至ったのだ。『、』が無かったら少し性急な印象を受ける」
    ○「なんとも悲しい句。これは達観や悟りではなく、単なる居直り。その居直りに強い覚悟を感じるからこそ、悲しい句なのでしょう」

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  2. 何時も米やる雀が覗いて鳴けり(4点)

    【句評】
    ◎「作者の優しい微笑みが見えてくる秀句。この作者が若くして亡くなったことが惜しまれる。韻律も素晴らしく、しっかり実情を詠んでいる。一行詩くずれの俳人や自由律を履き違えてる人達はこういった句をよく目に通すべきである」
    ○「ここで愛しいやつなどと思ってはいけません。向こうには何の感情もなく、ただ飯の督促に来ているのです。それでもなお、やはり可愛いものではありますが」
    ○「『何時も米やる雀』に今日は米をやれないのでしょうか。その原因が何なのかは分かりませんが、止むに止まれぬ事情があってのことなのだと思います。『何時も』という言葉がこの句の出発地点を決めているのだと思いました。それだから、雀への申し訳なさ、あるいは雀の事を鬱陶しいと思う気持ち。読み手次第でどちらの状況で汲み取ることも出来る句なのだと思います。けれども僕は、雀への申し訳なさを先に感じました。その視線の優しさが好きです」
    ○「リズムが良い。描かれた景も気持ち良く、ふっと肩の力の抜けた優しさの感じられる句」
    ●「この句で言いたい事は分かる。けど、それを表現するのが難しい。句作して、自分がよく感じることがこの句にもあると思う」

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  3. 百姓大きな鍋をみがき月光流るる(3点)

    【句評】
    ○「月明かりの下で作業をしていたのでしょう、美しい夜の生活風景です」
    ○「何やら鋭利な刃物の様な雰囲気を感じた。詩性がある。7番の句(『何時も米やる雀が覗いて鳴けり』)とは良い意味で全く対照的な味わい」
    ○「水が流れるのではなく月光が流れる。それだけで流れる水のきらめきがわかる。言い換えの妙」

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  4. うちへ來る下駄が雪をおとしてゐる(3点)

    【句評】
    ◎「雪の日の来客を、窓から眺めているところですね。雪を持ち込まないように、白い世界で足をあげている様子を思い浮かべました」
    ○「昔、下駄を履く経験があったので、懐かしくなって選びました。下駄の雪って、きっと、砂がまじって汚いんでしょうね」

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  5. 字引の字が細かくてもう寝よう(2点)

    【句評】
    ○「固く絞った雑巾のようにつましい生活と労働の日々から、一滴の詩を絞り出す。ぎりぎりのところで悲惨にならず、ほのぼのとするのは『もう寝よう』という言葉の軟着陸が成功しているからだろう」
    ○「『寝よう』が効いていると思いました。これが『寝る』だと一人きりでの不貞寝になるんだろうと思いますが、『寝よう』としたことで、ただそれだけではなく呼びかけのニュアンスを汲み取れました。呼びかけの相手が他者なのか、自身なのかで印象が代わる句だと思い、僕は後者だと思いました。その為、この句にはさびしさと諦めが漂っていると感じ、その部分を好きになりました」

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  6. 栗などむいて夜の長うなった身内ばかり(2点)

    【句評】
    ○「子どもの頃、幾度かこういう夜を過ごしました。しかし、身内ばかりを強調するということは、普段は身内以外も入り浸るような環境だったということでしょうか。昭和後期以降しか知らないためか、少し不思議に思いました」
    ○「こういう家でどんな会話をするのか、うーん、小言を言われつつ、栗をむくんでしょうね。しかし、手には栗がある。その栗がやさしそうだ」

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  7. 乞食しかられて出る外は日のぬくし(2点)

    【句評】
    ○「自由律では季語を用いている人は少ないが、このように効果的に使えるなら用いるべきだと思う」
    ○「乞食となにかしら、親しげで気になります。と、いうよりも、乞食と親しくなりたい、という作者の願望、祈りのようなものを感じました」

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  8. 逞しき犬に曳かれて海見ゆる草原(2点)

    【句評】
    ○「情景を思い浮かべるととても面白いです」
    ○「草原を吹き抜ける海風と其処に立ち、海を眺める人物が目に浮かんだ。頭の『逞しき』がある事で、句の雰囲気が男性的になっている気がする」

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  9. 黙って糸巻く母と夜が長うなった(2点)

    【句評】
    ○「この一句にも、『語らずして語る』という手法が生きている。黙って糸巻く母の思い。そして、その母への、作者の思い。それらは全て、受け手に委ねられている」
    ○「母の事は好きだ。けれど、ベタベタした仲の良さではない、一線を引いた感じが『黙って糸巻く母』にあらわれているように思えます。そんな母と『長う』なる。そう思えるまで同じ空間にいられる。気まずさと、親愛の情がないまぜになった男の心境を僕は読み取りました」

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  10. 魚のうろこもまじる銭出して数える(2点)

    【句評】
    ○「厳しい写実の一句。貧乏を、貧乏という言葉を使わずに表すとこうなる。核心を見せずに共感を呼び込むところが、とても俳句的だと思う」
    ○「無理のない発見の句。銭とともにうろこもめぐっているのだろう」

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  11. 蝉が雀に追はる夕立の後の夕焼(1点)

    【句評】
    ○「句の中の流れが見事。お手本にします」

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  12. 聲あるかぎりさけび山にこたへられる(1点)

    【句評】
    ○「声あるかぎりさけんでも、山しか応えてくれない。単なる谺かも知れないが、この句には、淋しさや、遣る瀬無さを強く感じる」
    ○「平凡な情景を言い換えて非凡になっています」
    ●「この時代では十分新鮮だったのかもしれないが内容が少し陳腐。俳句には共感が必要だが、それだけでは成り立たない」

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  13. 海風の石切場ですっぱい蜜柑たべてる(1点)

    【句評】
    ○「労働中の一休みか。すっぱい蜜柑ってのは最近ない。切り取られた空間が何か無骨で、僕は好きです」

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  14. 山をひらく人あり冬の鶏を鳴かせ(1点)

    【句評】
    ○「冬の山をひらくという重労働。そこに始まりを告げる鶏の声が重なるのが良い。山をひらいた先に何があるのかはわからないが、人はそれでも進むのだ」

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  15. 病人つられゆく強き陽の初夏(1点)

    【句評】
    ○「初夏の日は、強く眩しい。そして、太陽はこれからもっと強くなる。病人、おそらく作者かな。この太陽のように強くなって欲しい。そう思える句だ」

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  16. 石くずの中にきざみあげたる佛をすわらせ(1点)

    【句評】
    ○「職人が勢いで彫り抜いた石仏の光景を思い浮かべて、荒々しい人の心と周りの静かな風景を重ね合わせるような所が良いなと思いました」

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  17. 冬はしみじみわが貧乏ねずみがかぢる(−1点)

    【句評】
    ●「大いに共感できます。共感、というよりは疑似体験ですが。とはいえ、冬でしみじみで貧乏でねずみでは、要素が余りにも多かろう。というのが僕の印象です。ただ、文句を言えそうな句がこれだっただけで、けして嫌いではないです。できればマイナス点をつけないでほしいところです」

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  18. 病みてことしも軒の雀が藁をくはへてきます(−1点)

    【句評】
    ●「私は実際に一年ほど入院していましたが、こんな余裕はなかったです」

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    1. こんにちは。

      これも夭折した俳人の句なのですね。
      私も長期に入院していましたので、
      この句は実感が薄いなと思っていましたが、

      今はそういう時に正直に詠むだけが
      詩歌ではないのかなということを思いました。

      ちょっとしたやせ我慢、洒落っ気なのかなと思いました。
      それも案外格好が良いのかもと思いました。

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    2. 今晩は。
      この句の作者の小林實さんは、
      二十九歳で亡くなるまで病床生活を十二年も送った方です。
      ということは、彼はこの句の光景を何度も見たことになります。
      それは彼にとって、生き延びたという実感を与えてくれるものだったのかもしれません。

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    3. 藤井雪兎さん、コメントをありがとうございます。

      十二年ですか。病室にいることは一見楽なように見えて、
      退院して家に帰ってくるととても体力が衰えていたのを
      実感させられます。それが十二年の間なのですから、
      この俳人の方は自分自身でもその衰えを
      実感していたのではないか、今はそんな風に思いました。

      その中で生命を見つめる感覚も、
      違ってきているんだなと思いました。

      私も病床の中で五言律詩を詠んでいましたが、
      更に苦しい感じになっておりました。

      次の七月末からの年に一度の検査入院でも
      病中吟というものをしっかりと見直していこうと思いました。

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    4. >その中で生命を見つめる感覚も、
      >違ってきているんだなと思いました。

      今の所は何とか普通の生活を送れていますが、
      私もいつどうなるかわかりません。
      その時私はどのような眼差しで生命を見つめるのだろうかと考えています。

      検査入院、何事もありませんように。
      お大事にして下さい。

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  19. 海風穏かな初冬の埋立工事(−1点)

    【句評】
    ●「この30句は全体的に、戦前の大日本帝国の時代背景の香りがすると思っていたのですが、この一句だけは、どうにも、私の知らない戦前の日本の姿があるようで、想像することができませんでした。平成の現代人からすると、『埋め立て工事』といえば、重機とゴミの山・・・、という感じですが、この時代の『埋め立て工事』をどうしても、連想することができませんでした。うーん、悔しい」

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  20. 富士が雪を着た朝の中学生達である(−2点)

    【句評】
    ●「身を削るような他の作とくらべて、この一句だけはどうもひとごとのような気がする。富士が雪を着た、という表現も、朝の中学生も、凡庸。二物配合としても味に乏しい。この作者には、冬の富士だけを厳しく見つめた句が、より強く求められているのではないか。そこに中学生が現れ散漫になっている」
    ●「決して悪い句では無いが、全30句の中では一番、惰性的に作られたヌルい句の様な気がした」

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  21. 寂しい海が見えるせのびする(−2点)

    【句評】
    ●「『寂しい』の単語を使うことなく、寂しさを出してほしく思いました」
    ●「寂しいを使うのは卑怯なんて言われます。私は場合によっては使っていいと思っていますが、どうでしょうか?お聞かせください」

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  22. 以上で句評は終了です。

    お気付きになられた方もいらっしゃると思いますが、
    今回の研鑽句会で取り上げた句の作者は、二十代・三十代で夭折した約百年前の層雲人の方々です。
    自分の結社の事で恐縮ですが、層雲の巻頭には毎月このように夭折した層雲人の句抄が掲載されていた時期がありました。
    それらの句を読んでいたら、何故か研鑽句会で取り上げなければならない義務感が湧いて来たのです。
    現代の若者の自由律俳句集団である我々「鉄塊」がこれらの句を受け止めなくてどうする、と。

    少々独断に満ちた選び方をしてしまいましたが、これらの句から、昔の若者が自由律俳句に託した想いを感じて頂けたら幸いです。
    お疲れ様でした。

    藤井雪兎拝

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