Twitterで天坂寝覚さんを知ったのは、私が『鉄塊』に加入する少し前だったと思う。いわゆる『俳句クラスタ』のひとりという感じで、フォローするにあたって特別なきっかけなどは思い出せない。それは寝覚さんも同じだろう。気がついたら相互フォローだった、というわけだ。ただ、いい意味での『冷たさ』、つまり冷徹な視線をもって、鋭い句を作るひとだとの印象はずっと持っていた。
言葉の鋭さを、剃刀にたとえる場合がある。対象を瞬時に、すぱっと切り取る。そういう速度と切れ味を兼ね備えた言葉を指していう。では寝覚さんの句が剃刀のようかというと、ちょっと違うという気がする。これは自由律俳句という詩型の特性でもあるのだろうが、いきなり斬りつけてくるようなタイプの鋭さではないのだ。むしろ、ゆったり、じんわりと染みこんでくるような言葉の連なり。なのにいつの間にか、心のどこかに、切り傷をつけられている。そんな印象。剃刀ではないとしたら、『かまいたち』だ。風が吹いたと思ったらいつの間にか、斬られているのである。タイムラインに寝覚さんの句を見つける度に、私はううむと唸り、血の流れない傷口を、不思議な思いで撫でさすっていたのだった。
『東京自由律俳句会』が若手俳人を対象に行ったアンケートで寝覚さんは、俳句を始めたきっかけについてこう答えている。
「Twitterのアカウントを作るにあたり、自分の暮らしぶりや考えや日常の出来事をただ書くだけではつまらないなと思っていたときに、たまたま放哉句集が手元にあり、そういえば俳句というものがある、ということに気がついて始めた。」
この一文に私は、なるほどと思ったものだ。彼はまずTwitterを始めることを思い立ち、そのコンテンツのひとつとして、俳句がたまたまあった、というのである。なんと現代的なのだろう。ひとことの呟きが瞬時にして多くの人の目に触れる、というTwitterの特性が俳句に適しているということを、彼は直観で掴んでいたのだ。SNSのコンテンツとしての俳句、という考え方は今後、若い世代へ俳句の普及を目指すとき重要なヒントになると思う。
そしてもう一点、俳句を始めるにあたり寝覚さんの手元にあったのが、尾崎放哉句集であることにも注目したい。こころのなかに俳句という庵を結んで孤独と向き合い、静かに己が滅びるのを待つ。寝覚さんの冷徹な眼差しは、放哉から影響を受けていたのである。ここでも私は、おおいに納得した。
この度、本稿を書くにあたり、寝覚さん本人の了承を求めた。寝覚さんは快く許してくれたばかりでなく、『鉄塊』を始めとしたネット句会、そしてTwitterで発表した句を纏めたファイルを送ってくださった。その数、二百数十句あまり。私は句集を一番乗りで手にしたような、贅沢な気分で寝覚さんの句を改めて読んだ。そのなかからいくつか、ここに紹介させて頂く。
昨日がまだ枕に残っていた
その俳号となにか関係があるのか、寝覚さんの句には眠り、目覚め、そして夢などの素材が多用されている。それは死と再生の、穏やかな暗示に他ならない。かつて放哉が肉体の衰えと死を静かに受け入れ、句風を研ぎ澄ませていったように、寝覚さんは眠り、夢を見て、目覚める。そして、それら営みの境界に句材を見つけるのが、とても巧みだ。
昨日の出来事はあえて語ることなく、枕だけがそこにあるという本句。細胞が死ぬ匂いに鼻腔をくすぐられるようで、ぞくっとくる。
今日を使いきったこどもが寝ている
本句の場合、寝ているのは詠み手ではなく遊び疲れた子供である。夏の午後から夕方にかけて、汗と埃にまみれた体で縁側に横たわる、そんな景が浮かぶ。一日外で遊んだ子供の足の裏の臭いは生命力に満ちているが、とりあえずいまのところは『今日を使いきった』状態。そして明日には再生し、また野山を駆け回るのだろう。人生を使い切って庵で横になるしかない放哉とは好対照だ。
すこし濡れて行く人を見送る
フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』では、主人公ギャツビーの葬儀は雨の中執り行われた。そして誰かが呟く。「幸福なるかな、死して雨に打たれる者」。雨と死には密接な関係があるのだ。
本句における、『すこし濡れて行く人』の存在感のあやふやさにも、死が強く匂う。私たちはその人を、無言で見送ることしかできないのである。
てんごくの話するふたりで海に行く
第七回鉄塊鍛錬句会で最優秀となった『今朝夢でころしたひとと笑う』と同様、ひらがなの使い方が巧みな一句。「漢字で書くと、殺したこと、殺した人のこと、見たり読んだりしたときに乗る感情が余りに鮮明になってしまう」とは寝覚さん自身のコメント。生々しさ、禍々しさを和らげ、ふわっとさせる技法が、本句でも生きている。ひらがなにすることで、死と真っ向から対峙することを避けている、との意見もあるかもしれない。しかしよくよく考えれば、死や天国など、その鮮明な様子は誰も知らないのだ。だからこそ、柔らかいフォーカスで描写するほうが、誠実な姿勢であると私は思う。
また、こんな句も思い出させる。『風生と死の話して涼しさよ』(高浜虚子)。風生とは虚子の弟子、富安風生のこと。
皆出て行った花火の音
鉄塊ブログ2012年12月25日記事『今年一年を振り返る』でも選んだ一句。そのときと同じことを書くが、やはり取り上げないわけにはいかない。
昨年の夏、私は大林宣彦監督『この空の花』という映画を観た。長岡の空襲と、その犠牲者の魂を慰める花火大会にまつわる話で、とても感銘を受けた。登場人物に、「花火の音は焼夷弾の音と同じ」だといって、大会の日にひとり、家から出ないという女性がいたのだ。彼女は空襲で幼い我が子を亡くしていた。
皆出かけてしまって、しんとした部屋のなかに、花火の音だけが響く。花火=鎮魂というイメージから、ここでもはやり、死を連想せずにはいられない。死者と生者、出ていったひとたちと、部屋で待っている自分。どちらがどちらであるか、分からない。正解はないのだ。本句もまた、眠りと目覚め、死と生のあいまいな境界から生まれたといえるだろう。
以上、取り上げさせて頂いた句はTwitterに発表されたものが中心となった。その他、鉄塊句会やVT句会における寝覚さんの句については、当ブログを遡って改めて鑑賞して頂ければ幸いである。(文・松田畦道)
畦道様
返信削除拝読しました。読み応えのある記事を執筆していただきありがとうございます。
>こころのなかに俳句という庵を結んで孤独と向き合い、静かに己が滅びるのを待つ。
私は初期の寝覚さんの句を読んだ時はあまりこうは思わなかったのですが、
最近はこの傾向が現われ始めているような気がします。
しかも不思議なことに、あまり深刻さは感じられず、
むしろこの人はこれでいいんじゃないのかとすら思ってしまうのです。
もしお会いする機会があったら、何と声をかけようかと今から思案している次第です。
藤井雪兎様
削除ご高覧ありがとうございます。
なるほど、確かに今回まとめて寝覚さんの句を拝見すると、作風の変化が感じられるかもしれませんね。
一貫して変わらないのは、どこかクールで飄々として、達観したような空気感でしょうか。
今回は放哉からの影響という視点で句を選びましたが、他にも良い句がたくさんありました。
いつかお会いする日もあるでしょうから、色々とお話を伺いたいものです。
御記事拝読いたしました。どうもありがとうございます。
返信削除寝覚さんの句風の変化には、私も気付いておりました。
最近では、鍛錬句会で寝覚さんの句をとることが多くなって困っている(?)ところでした。
今日を使いきったこどもが寝ている
とりあげられた句はいずれも佳句ですが、特にこの句、いいですね。参りました。
koto様
返信削除ご高覧ありがとうございます。
寝覚さんの句風の変化、を端的に言い表せば、より短律に傾いているということになるかとも思います。
その辺りで、kotoさんには響くところあるのでしょうか。
鉄塊メンバーもひとりひとり、句風が際立ってきたと感じます。
そのなかで、とられる句を作るというのもなかなかたいへんです。
私も頑張らないと。
『読む』シリーズはまた書くつもりです。
ですが他の方にもぜひ、引き継いで頂きたいですね。
どなたか是非。