※風呂山書房「―41―百句夜行「百十三句」より。
※風呂山書房はこちら。
金多目に忍ばす部下と飲むのだ
「忍ばす」の主体が詠み手か部下かで、解釈がまったく異なる句。私は部下と読みたい。おそろしい上司である。
夜桜の下の見知らぬ顔だ
自宅近所に桜が立っている。たいていの場合は見知った隣人がその桜を見上げているのだが、今夜の人はどうやらよそ者。これも小さな非日常だろう。
帰りたくない花見の夜だ
祭りの後もそうだが、こういう時はなんともいえない寂しさを感じる。花見の夜であれば、桜は変わらず咲き続けているのだからなおさらである。
赤子あやす妻の眠そうな声
その声はまた、幸せそうな声でもあるのだ。
食べ過ぎた父でいるお食い初め
赤子のための行事だったはずだが、ついつい食べ過ぎてしまった。後々、家族内で「この子のお食い初めのときはおじいちゃんが食べ過ぎちゃって」という会話が繰り返されるのだろう。
林の入口の忘れ去られた叢塚
かつてこの地で飢えて逝った人が幾人もいたことを、この塚だけが記憶している。いつかこの塚も、自身が叢塚であることを語ることすらなくなるのだろうか。
赤子の髪整える風呂上がりの妻
一読、赤子のにおいが漂ってくる句。皆ほくほくしていて、楽しくなる。
わが子の瞳の中みつけた春の空
わが子なりに、この世界を認識し始めているのだろう。元気に育つよう。
赤い椿赤い椿とまだ落ちないのか
椿をみると落ちるかどうかということに思いを馳せるのは、自由律俳句を詠む人たちの職業病な気がする。
子の熱案じる父でいる午後の雷
父はたいていの場合、子どもから離れたところで働いていなければならない。雷がまた不安を募らせる。
鉄の塊なる悦びである昭和の日
おそらく鉄塊入会の際に詠んだものと思う。自分たちが鉄の塊であるという認識はなかったが、そうなのかもしれない。熱いうちにどんどん打たれたいものである。
育児書の増え肩身の狭い太宰治
熱心さに、太宰も感心していることだろう。
アイツなら逝っちまったよ通し鴨
この場合のアイツは人のことか。人が逝こうが季節はうつろう。
取り上げていただき、ありがとうございます。
返信削除備忘録のようなブログなもので、こうして評をいただけるとは思ってもみませんでした。
大変励みになります。今後も精進いたします。
以前より、時折拝読しておりました。
削除また機会があれば、取り上げさせていただければ幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
「赤い椿赤い椿とまだ落ちないのか」
返信削除碧梧桐の例の句を思い出しますが、改めて椿が落ちる理由を考えてみたくなりました。科学的なもの以外で。
「散るから桜(ゆ)」に、何がしかのヒントが詰まっている気がしました。
削除『子の熱案じる父でいる午後の雷』
返信削除自宅から離れた場所で、だんだん近づいてくる雷を聞きながら、熱を出した子の病状を思う。仕事中なのでしょうか。忙しい最中にふと、父親の顔になる瞬間がよく描かれていると思いました。
吾子が小さければ、なおさらです。この日は一日、空模様と同じく、笑顔を浮かべる余裕がなかったのかもしれません。
削除「育児書の増え肩身の狭い太宰治」
返信削除育児書って何であんなに似たようなものを
何冊も買っちゃうんでしょう。親の不安に
つけこむようにいろんな育児書が手を替え
品を替え出てきてしかも数が出て売れます。
この句になんともいえず共感しました。
そのような出版状況にあるのですね。人の親ならではの句だと思いました。
削除「食べ過ぎた父でいるお食い初め」
返信削除こういう光景は人生の中で忘れることのない一こまになっていく、これをすくい取っているのが良いなと思いました。身の回りの風景を見渡してみる、私もそんな風にしていこうと思いました。
生活詠ですね。この積み重ねを、人生と呼ぶのでしょう。
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