(最高得点句)
すべなし地に置けば子にむらがる蝿(8点)
(8点)すべなし地に置けば子にむらがる蝿◎◎◎○○△
(6点)あわれ七ヶ月のいのちの、はなびらのやうな骨かな◎○○○○
(3点)わらふことをおぼえちぶさにいまもほほゑみ◎○△
(3点)炎天子のいまはの水をさがしにゆく○○○
(3点)この骨がひえるころのきえてゆく星○○○△
(3点)ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへ、こときれる◎○△△
(3点)くりかえし米の配給のことをこれが遺言か◎○△△△
(3点)なにもかもなくした手に四まいの爆死証明○○○
(2点)母のそばまではうてでてわるうてこときれて◎△
(1点)いまは、木の枝を口に、うまかとばいさとうきびばい○△△
(1点)こときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる○△
(1点)とんぼうとまらせて三つのなきがらきょうだい○△
(1点)とんぼう子たちばかりでとほくへゆく○△
(1点)ほのほ、兄をなかによりそうて火になる○△
(1点)なつくさ妻をやく所さだめる○△
(1点)炎天妻に火をつけて水のむ○△
(0点)月の下ひっそり倒れかさなってゐる下か○●△
(0点)まくらもと子をほねにしてあはれちちがはる◎●●△
(-1点)十八年の妻にそひねして此の一夜あけやすき●
(-1点)降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ●△
(-1点)闇にかすかな光を、師にたまはりし『露』の字●△
(-2点)玉音あまくだるすべてをうしなひしものの上○●●●△
(無点)月の下子をよぶむなしくわがこゑ△
(無点)母をたづねあぐみてひとり月くらき壕のうち△
(無点)この世の一夜を母のそばに、つきがさしてゐるかほ△
(無点)外には二つ、壕の内にも月さしてくるなきがら△
(無点)とんぼう子をやく木をひろうてくる△△
(無点)やさしく弟いもうとを右ひだり、火をまつ△
(無点)かぜ、子らに火をつけてたばこいっぽんもらうて△
(無点)あまのがは壕からみえるのが子をやくのこり火△
(無点)あさぎりきょうだいよりそうた形(なり)の骨で△
(無点)みたりの骨をひとつに、焼跡からひろうた壷△
(無点)ちちをすうてこれもきえむとするいのちか△
(無点)短夜あけてくるみたりの子を逝かしたふたり△
(無点)夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ△
(以上、35句)
※特選(◎)2点、並選(○)1点、逆選(●)-1点として集計。
◆作者紹介
【松尾あつゆき】(1904~1983)
長崎県に生まれる。
長崎高等商業(現長崎大学経済学部)卒業後、長崎市立長崎商業学校にて英語教諭となる。
23歳で層雲に入門。荻原井泉水に師事。
その後、長崎市立商業学校を退き、長崎大浦食料営団勤務。
1945年8月9日。
敦之(41歳)、妻 千代子(36歳)。
長女 みち子(16歳)、長男 海人(12歳)、次男 宏人(4歳)、次女 由紀子(1歳)。
長崎市にて原子爆弾被爆。
次男 宏人(4歳)、次女 由紀子(1歳)被爆により死去。
翌8月10日、長男 海人(12歳)死去。
8月13日、妻 千代子(36歳)死去。
8月15日終戦。四枚の爆死証明書を受け取る。
その後長女とともに長野県へ移り、後遺症に苦しみながらも高校教諭として勤務しながら句作を続けた。
1983年79歳にて死去。
句集に『火を継ぐ』『原爆句抄』などがある。
(編集担当より)
今回の句は、あつゆきの全句集である『花びらのような命』(竹村あつお 編 龍鳳書房)中から採った。
その際、「層雲句稿 昭和21年6月9日」の項に35句掲載されており、自分の主観によって30句に絞るよりもそのまま35句を出した方がよいと判断した。
事前の相談なく句数を増やしてしまったことをお詫びする。
また、今回上げた句は、句集等への収録の際に改訂されているものも多い。
そちらの形をご存じの方には混乱を与えてしまったかもしれない。併せてお詫びしたい。
(8点)すべなし地に置けば子にむらがる蝿◎◎◎○○△
返信削除◎すべなし、という結果がリアルすぎる。(祖啓)
◎読めば読むほど、言葉が失われる。(寝覚)
◎「すべなし」という終止形が非常に効果的である。自分であれば「すべなくて」としてしまうところだ。「すべなし」と言い切ったところに作者の苦衷が凝縮されている。(働猫)
○この「すべなし」はあまりに重い。(古戸暢)
○これまた酷く無残…せめて穏やかに供養してやりたいのに、容赦なく虫が来てしまう。そんな情景を目をカッと見開いて見ている作者の無念さが息苦しい程伝わってきます。(玉虫)
△こういうのを見ると、やはり蠅は本能だけで生きているのだなと思う。(雪兎)
(6点)あわれ七ヶ月のいのちの、はなびらのやうな骨かな◎○○○○
返信削除◎分かります。骨って見たことない時はさぞグロいんだろうなどと思っていたものですが、荼毘に付されて残った骨は、白くはかなく、ちっとも気持ち悪くなんてない。一歳にも満たない赤ちゃんの骨は、本当に白い花びらみたいだったんだろうなと思いました。悲しい、激しい句なんですが、蠅がたかったり死に際に食べ物の心配をしているほかの句よりは、花にたとえたことで少しだけ救いがあるような気がしたので、特選にとらせて頂きました。(玉虫)
○まいった。(祖啓)
○七ヶ月という短い間しか生きられなかった生命への精一杯の弔辞だと思う。このはなびらは風に乗ってどこへゆくのか。(雪兎)
○大人に比べると赤子の骨はさぞかし脆いなものであろう。恐らくは火葬直後のさらさらと砕けた骨の様子を詠んだ句。「七ヶ月」のいのち。この句を前に平静を保つことなどできない。(洋三)
○骨になってなお愛おしい。俳句において直喩はよくないというような論をいつかどっかで見たような聞いたような気がするけど、そんなこと関係あるか。ここではこの言い方しかできないのだ。(働猫)
(3点)わらふことをおぼえちぶさにいまもほほゑみ◎○△
返信削除◎唯一かろうじて救いを感じる。だがかなしいことに変わりはない。(Tヒロ)
○嬉しい。(祖啓)
△「いまも」は「今際も」であろうか。乳飲み子が乳房に抱かれほほえみながら死んでいく。いったいどんな罪が母子にあったというのか。(働猫)
(3点)炎天子のいまはの水をさがしにゆく○○○
返信削除○もう助からないお子さんに、最後に水を飲ませてあげたい。水は見つかったのかな。命が消える瞬間の、こんな小さな願いも叶えてあげることが難しい作者の悲しみ。夏の日差しがくっきりと焼き付けた悪夢のような現実。胸が苦しくなります。(玉虫)
○恐らく、間に合わない。それでも出て行く、探し回る親心を思うと辛くてならない。(寝覚)
○「炎天」である。きっと水はない。末期の水さえ与えられない。こんなに簡潔に絶望を表現できるものなのか。(働猫)
(3点)この骨がひえるころのきえてゆく星○○○△
返信削除○背景に囚われず自由に読んでも、充分に価値の高い句。この骨、を己の骨として読んでみてもいい。冬の明け方近く、ぽつんとひとりで夜空を見上げている、といった風に。(畦道)
○何度か火葬に立ち合った事があるが、残った骨の熱さが最後のぬくもりに思えた。そして星が消えてゆく理由は、未だに知らない。(雪兎)
○骨は即ち遺骨だろう。骨が冷え、星が消え、死が死として完成してしまう夜明け。星に見ていた亡き人の面影も消えるのだろう。(寝覚)
△明け方になり、星が消えていく中で、火葬した骨を拾っているのだろう。(働猫)
(3点)ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへ、こときれる◎○△△
返信削除◎「ヒロちゃん」とは誰のことかはわからないが、それが最期の言葉だった。こうした生の言葉を詩として昇華できることこそが、自由律の強みなのではないだろうか。そんなことを、ふと思った。(洋三)
○優しい子だったのか、犠牲の心を感じました。(Tヒロ)
△(´;ω;‘)ウッ…やめてぇ…こんな時でもトマトを大事に持ってて、家族?へあげようとしている。人の気持ちって、優しさって、悲しい。(玉虫)
△人はこんな優しさを持ち得るものか。現代日本においてスーパーを奇声を上げて走り回る子供らにこんな感情があるだろうか。環境と教育は本当に重要だ。(働猫)
(3点)くりかえし米の配給のことをこれが遺言か◎○△△△
返信削除◎今回の研鑽句会のテーマは見たところ(戦争詠)であるらしい。全て実体験に基づいて書かれているとするとあまりに重たく、それに◎とか○と か、点数をつけることに若干の抵抗がなくもない。とりあえず特選とさせて頂いた本句は、戦争を背景にしなくとも、人間の生死の哀しみを見事に言い当てる普遍性を持っている。つまり戦争詠という前提なしで優れているということだ。並選、逆選もそのような視点で選んでいこうと思う。(畦道)
○戦争直下の人々にとって、米の配給は文字通り死活問題であっただろう。皮肉にも憐れな遺言。これが戦争なのか。(洋三)
△私の遺言もそれほど上等なものではないだろう。嘘なんか吐いている場合じゃないから。(雪兎)
△(´;ω;‘)ウウウ…こんな時でも家族が飢えないよう心配している。(玉虫)
△自らの死に際しても残していく家族のことだけが気がかりだったのだ。その優しさが哀しい。(働猫)
(3点)なにもかもなくした手に四まいの爆死証明○○○
返信削除○爆死という言葉が、事実であることに困る。(祖啓)
○時を進めるために、手は何かをつかむ。たとえそれが絶望であっても。(雪兎)
○手の中にあるものを示して、ほかには何もない空虚を表現する。技法としては新鮮ではない。しかし句材が強力過ぎる。こんな空虚をほかのだれが表現できるだろうか。(働猫)
(2点)母のそばまではうてでてわるうてこときれて◎△
返信削除◎彼が幸せに逝ったことを信じる。(古戸暢)
△母に会えた喜びであろうか。それともこんなにも幼い命が、残していく母のために笑ったのか。(働猫)
(1点)いまは、木の枝を口に、うまかとばいさとうきびばい○△△
返信削除○火垂るの墓の世界を思い出す。戦争は悲惨である。こうしているいまも世界では殺される市民がいる。(Tヒロ)
△(´;ω;‘)ウウウ…可哀そうすぎる…今回の研鑽句会、泣きまくりな訳ですが、この句にいちばん泣かされました…いや、さとうきび美味しいなと思って死んでいけたのだからよかった、とでも思うべきなのか…心が千々に乱れて冷静に見ることが出来ません。(玉虫)
△さとうきびなどあるわけがない。代わりにせめて水分のある木の枝をくわえさせたのか。親も子もそれが嘘だとわかっている。しかしほかに術がない。互いに思い合いながら今際を迎えるのか。(働猫)
(1点)こときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる○△
返信削除○無残なことこの上ないですね。子供さんを亡くして迎える朝、どんな気持ちだったろうと思うと胸が苦しくなってきます。しかし、不謹慎なことを言ってしまうと、こうやってその時の情景・心情などを、鮮やかなまま焼き付けておくために自由律俳句ってすごく有効な手段なんだなと感心しきりでした。以下続けて二句とりますが、この三句に同じように鮮烈なものを感じました。(玉虫)
△なにもかも無くなってしまった荒野で、死んでしまったわが子のそばに座り込んでいるのか。それでも朝はやってくるのか。(働猫)
(1点)とんぼうとまらせて三つのなきがらきょうだい○△
返信削除○とんぼを指にとまらせる遊び。生きていたなら兄弟三人そろって楽しんでいたことだろう。揚句全体に言えることだが、冷徹なまでの描写が心をえぐるようである。(洋三)
△死してなお仲のよい兄弟のようにとんぼとまらせているのか。(働猫)
(1点)とんぼう子たちばかりでとほくへゆく○△
返信削除○前後の繋がりなしで本句だけ鑑賞すると、映画(スタンド・バイ・ミー)のようでもある。とんぼに導かれ、子供たちが初秋の景色のなかを一列に 進む、そんな句だと。とほく、とは本来の句意ではどこなのかには、あえて目を瞑り選んだ。子たちばかりでどこへでも行ける、平和な世の中であってほしい。 (畦道)
△「とほく」は天国であろうか。とんぼよ、せめて兄弟をまっすぐに導いてくれ。(働猫)
(1点)ほのほ、兄をなかによりそうて火になる○△
返信削除○荼毘にふされ、燃えていく子供らを見ている光景だと思った。“ほのほ、”と打たれた読点で作られた間が、余りに大き過ぎる悲しみを受け入れきれないことで生じる心の空白のように思えた。なればこそ、“~火になる”と客観的・幻想的に見ることが出来るのだろう。(寝覚)
△仲のよい兄弟だったのだろう。なきがらとなってもぴったりとよりそって、ともに焼かれていくのか。(働猫)
(1点)なつくさ妻をやく所さだめる○△
返信削除○見たもの、あったことだけを淡々と記した。そこにある感情は、句に表すまでもない。(畦道)
△なにもかも失われてしまった地である。どこで焼いたってかまわないのだ。それでもせめて妻のために少しでも良い場所を探し求めるのだ。(働猫)
(1点)炎天妻に火をつけて水のむ○△
返信削除○妻に火をつけようとも、喉は渇くのである。(古戸暢)
△私は生きている。妻の分まで生きなくてはならない。決意でもなく義務でもない。ただ淡々と心を殺して火をつけ水を飲んだのだろう。(働猫)
(0点)月の下ひっそり倒れかさなってゐる下か○●△
返信削除○背景を知らないと、この一句のみでは景を想像しがたいと思う。そういう意味では逆選とするか悩んだ。(古戸暢)
●リズムが少し気になった。(寝覚)
△この句の表記は歴史的仮名遣いでなくてはならない。「ゐる」は「かさなって」に続いて状態を表す補助動詞ではなく、「居る」という存在を表す自動詞である。(働猫)
(0点)まくらもと子をほねにしてあはれちちがはる◎●●△
返信削除◎乳を飲む子は亡くなったというのに何という擦れ違いか。この時我々の理性は何ができるのだろう。(雪兎)
●「あはれ」は不要か。(古戸暢)
●かなしい。逆選という意味とは違う意味で逆選とした。揺さぶられる句である。(Tヒロ)
△乳飲み子を亡くし、骨にしてしまってなお、乳が張ってくる。母の哀しみはいかほどのものか。(働猫)
(-1点)十八年の妻にそひねして此の一夜あけやすき●
返信削除●この句のみ独立して見た場合に、意味がとれるか。偕老同穴仲良し夫婦の営みともとれてしまう。そしてそれはおそらく本意ではあるまい。したがって句としては不十分なのではないか。(働猫)
(-1点)降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ●△
返信削除●どことなく芝居がかっていて共感できなかった。こんな風に焼かれたくない。(畦道)
△玉音放送の中、妻を焼いている。もっと早く降伏していたら……。そんな思いもあっただろうか。(働猫)
(-1点)闇にかすかな光を、師にたまはりし『露』の字●△
返信削除●今回逆選なんて選べないよこれは、と思いつつ、全くの言いがかり的にこちらに。ほかのが直球だったのに比べて暗喩的?で、正直意味が分からなかった、と、それだけでこちらにさせて頂きました。(玉虫)
△絶望の闇の中で先生にもらった書であろうか、それを支えに生きているのだろう。なんという師への愛。(働猫)
(-2点)玉音あまくだるすべてをうしなひしものの上○●●●△
返信削除○すべての家族を失ったあとの戦争終結というでしょうか。すべての人が幸せになる社会は理想ですが実現は難しい。なんともかなしい現実です。(Tヒロ)
●逆選が選びにくかったので、最後の方から拾ってきた。残尿感だ。(祖啓)
●このような目にあっても、陛下への敬意を払っているのが痛々しい。だが、これは果たして本心だろうか?(雪兎)
●「あまくだる」という表現。つまりは天の声。本物の天の声ならば、「すべてをうしなひしもの」へ救いを授けるはずではないだろうか。果たして、このとき作者がどう感じたのか。残念ながら未熟な私には、この句から見いだすことができない。この句をあえて逆選にした上で、今後もこの句について考えていきたいと思う。それは戦争を忘れてはいけないという、私自身への戒めにもなるであろう。なお、句評はこの句を含めた五句のみとした。なぜなら自由律の鑑賞をいう、冷静な態度がどうしても取れないのだ。ただ、自由律だからこそ表現し得た一連の戦争句からは、得るものが多かったことを付け加えておきたい。(洋三)
△天皇への批判も込められているのだろうか。陛下の声を聞きながらもうなにもその手には残っていない。(働猫)
(無点)月の下子をよぶむなしくわがこゑ△
返信削除△声が届かない、返事がないことをわかっている。だから虚しいのだ。(働猫)
(無点)母をたづねあぐみてひとり月くらき壕のうち△
返信削除△子供が哀しみ苦しんでいる。そこでなすすべがない。なんという絶望だ。(働猫)
(無点)この世の一夜を母のそばに、つきがさしてゐるかほ△
返信削除△最後の夜をせめて母のそばで過ごすことができたのだろう。月明かりに照らされた顔がせめて安らかであればと願う。(働猫)
(無点)外には二つ、壕の内にも月さしてくるなきがら△
返信削除△数え切れぬ死が月明かりとともに露わになっていくのだろう。(働猫)
(無点)とんぼう子をやく木をひろうてくる△△
返信削除△トンボは不思議だ。希望も絶望も感じさせない。(雪兎)
△子供を焼くために木切れを探し歩く中も、とんぼたちだけは自由に飛び回っていたのだろう。数え切れない死の中でそれでも生きて営みを続けるものがある。(働猫)
(無点)やさしく弟いもうとを右ひだり、火をまつ△
返信削除△3人の兄弟を一緒に焼く。兄はなきがらとなってもやさしく弟妹を守っているのか。(働猫)
(無点)かぜ、子らに火をつけてたばこいっぽんもらうて△
返信削除△ともに家族を亡くした者同士の無言のやりとりだったのだろう。(働猫)
(無点)あまのがは壕からみえるのが子をやくのこり火△
返信削除△どんな感情がこのとき残されているのだろう。あ、星だ。あ、火だ。それ以上の思考などできるものだろうか。(働猫)
(無点)あさぎりきょうだいよりそうた形(なり)の骨で△
返信削除△一緒に焼いた兄弟は、そのままの形で骨になっていた。朝霧の中でそれを見たとき、いいったいどれほどの哀しみに襲われることだろうか。(働猫)
(無点)みたりの骨をひとつに、焼跡からひろうた壷△
返信削除△小さな子供の骨なのだろう。一つの骨壺に3人が収まってしまう。骨になってなお仲のよい兄弟とも言えるのか。(働猫)
(無点)ちちをすうてこれもきえむとするいのちか△
返信削除△乳飲み子が死に瀕してなお懸命に乳房に吸い付いている。生きたいのだ。こんなに小さく儚い命であっても。しかし。(働猫)
(無点)短夜あけてくるみたりの子を逝かしたふたり△
返信削除△短い夜が明ける。一夜にして3人もの子を逝かせた夫婦にも朝が来てしまう。朝なのに先がまったく見えない。(働猫)
(無点)夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ△
返信削除△絶望にうちひしがれながらも、火を絶やさぬよう、せめて妻をしっかりと焼けるように疲弊した身体に鞭打って火を継ぐのだ。(働猫)
編集担当として、今回の研鑽で松尾あつゆきの原爆句をとりあげた意図について少しお伝えしたい。
返信削除もちろん、まもなく原爆忌や終戦記念日を迎える時期であるということも一つなのだが、もう一つの理由として、「人の心の修羅に挑みたい」ということがあった。
詩でも句でも、そこに自分の悲しみを表現するという行為に、自分はどうしようもない修羅を感じてしまう。
自らの情を芸術に昇華しようとするとき、そこには当然技巧的な操作が加えられる。だからこそ受け手も感動することができる。しかしその操作の段階で作者の悲しみは純粋な悲しみのままであろうか?
そこには自分の感情から一歩引いて見つめる冷徹な観察者が現れるのではないだろうか。
悲しみとはもっと個人的なものであって、それを他者に対して表現するなどということが、「まともな人間」にできるものだろうか。
それができるのは「修羅」だけだ。
一応断言しておくが、これは非難ではない。むしろ賞賛である。
ここに集った各人は当然、表現者である。まともな人間ではないのだ。
だからこそ挑むべきだ。修羅に。
単に悲しみに寄り添って憐憫に暮れるのはまともな人間の行為でしかない。
修羅に挑むためにあえて、選句という行為をしてみたかったのである。
なぜなら表現者とはみな修羅だからである。