2012年7月2日月曜日

第二回 鍛練句会


最高得点句
うでをひろげてそらのまね
寒いと一言先輩の彼女

最低得点句
さわやかおばさん自転車の怪異


互選集計

(4点)うでをひろげてそらのまね◎◎
(4点)寒いと一言先輩の彼女◎○○
(3点)仏さんの飯に蠅二匹◎○
(3点)かげろう立つ恋をしそうな影もある路◎○
(3点)次の準急で構わない雛罌粟揺れてる○○○
(3点)子守唄思い出して眠れないニートです○○○
(3点)Uターンおばさん撃たれたみたいに◎○
(3点)ひとりで来た顔をして墓へ○○○
(2点)蚊の音たたく音して蚊の音○○
(2点)夕餉のにおいの間を走る◎
(2点)深夜の道漕ぐ少年四人○○
(2点)ひねもすぐうだらたばこのから箱◎
(1点)躑躅の甘い匂いがして学生はまだ知らないらしい◎●
(1点)恥で済めば安いものだと六十八の父○
(1点)五月雨を殴って気が済むか○
(1点)潰れた毒毛虫の黄色のハラワタ○○●
(1点)萎えてしまった電話だ○○●
(1点)この手のひらを選んでくれた雨粒○
(-1点)鴉の形した咳を闇へ放す○●●
(-1点)アリ影や今となっては面影よ●
(-2点)さわやかおばさん自転車の怪異○●●●
(無点)階下のいびきも朝となった
(無点)ぬるい夜が俺の五感を塞ぐ
(無点)犬、踏切を渡る線路のその先を見た
(無点)前を向けば霧 後ろを向けば闇
(無点)外れ馬券にこやかにやぶる白髪
(無点)姫百合のおしべ取り除けず

※特選(◎)2点、並選(○)1点、逆選(●)-1点として集計。

作者発表

【渋谷知宏】
躑躅の甘い匂いがして学生はまだ知らないらしい
犬、踏切を渡る線路のその先を見た
萎えてしまった電話だ

【白川玄齋】
恥で済めば安いものだと六十八の父
前を向けば霧 後ろを向けば闇
姫百合のおしべ取り除けず

【天坂寝覚】
蚊の音たたく音して蚊の音
かげろう立つ恋をしそうな影もある路
ひとりで来た顔をして墓へ

【中筋祖啓】
さわやかおばさん自転車の怪異
Uターンおばさん撃たれたみたいに
アリ影や今となっては面影よ

【馬場古戸暢】
階下のいびきも朝となった
夕餉のにおいの間を走る
深夜の道漕ぐ少年四人

【藤井雪兎】
うでをひろげてそらのまね
子守唄思い出して眠れないニートです
この手のひらを選んでくれた雨粒

【松田畦道】
五月雨を殴って気が済むか
次の準急で構わない雛罌粟揺れてる
鴉の形した咳を闇へ放す

【春風亭馬堤曲】
寒いと一言先輩の彼女
外れ馬券にこやかにやぶる白髪
ひねもすぐうだらたばこのから箱

【矢野風狂子】
ぬるい夜が俺の五感を塞ぐ
仏さんの飯に蠅二匹
潰れた毒毛虫の黄色のハラワタ

※五十音順

44 件のコメント:

  1. うでをひろげてそらのまね(4点)

    【句評】
    ◎「一読して、大空の下でアラレちゃんよろしくキーンをやっている様が浮かびました。あるいはただの伸びでしょうか。『そらのまね』というのがややわかりにくくもあったのですが、気持ちのいい句です」
    ◎「『そらのまね』っていうのが良かったです。そうだ、そうだ、手旗信号のような、手話のような、そんな気持ちが心地よい。もどかしくって、いてもたってもいられない、さわやかな印象です」

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  2. 寒いと一言先輩の彼女(4点)

    【句評】
    ◎「『先輩の彼女』という言葉が、この句の全てだなと思いました。彼女の年齢であるとか、季節、状況の詳細はつかめなかったのですが、そういうところはこの句にとっては瑣末な部分なのだろうと思います。そしてまた、先輩の彼女の一言が『寒い』というのも、このうえなく思わせぶりというか、含みがありそうというか。いや、きっとないんですが、それが分かっていても勘違いしてしまう、あのドキドキが蘇りました。『先輩の彼女』ってのは、なんであんなに特別な女性に見えるんでしょうね」
    ○「あってはならない関係への期待を匂わせる、微妙な距離感を見事に言い表した。もうこれ以上、何も語らないからこそ、見えてくるものがある。躑躅と学生、に比べると意外性はないが、いかにもありそう、という共感を巧みに呼び込んだ」
    ○「今の自由律俳句に圧倒的に足りないのが若者の視点。その意味でこの句は貴重だ」

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  3. 仏さんの飯に蠅二匹(3点)

    【句評】
    ◎「他の投句作品が抽象的で一行詩になっているものが多い中、具体的であり、読み手に共感を与えている作品。俳句は詠み手と読み手の共同文学です。詠み手は読み手を意識して具体的なイメージを取り入れるべきです」
    ○「仏さんという言葉が対象への親しみをとても感じさせてくれるので、『飯』はきっと『めし』と読むべきなのでしょうが、個人的には『まま』と読みたいです。そしてそこに止まっている蠅という、恐らく本来は鬱陶しいものへも、愛情というか、慈愛の眼差しが向いているかのよう。それは作者に加えて『仏さん』の眼差しでもあるのでしょうか」

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  4. かげろう立つ恋をしそうな影もある路(3点)

    【句評】
    ◎「一人なんだろう。かげろうと恋なんて、そこはかとなく淡く仄か、でも実体はない。それでも、出来るだけ前向きであろうとしているように感じる」
    ○「俺には書けそうも無いくらいの甘い浪漫的な句であり、詩性の高い句」

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  5. 次の準急で構わない雛罌粟揺れてる(3点)

    【句評】
    ○「ホームでの別れを引き延ばしている様と読みました。雛罌粟が二人の空間に文字通り花を添えています」
    ○「海紅にありそうな俳句。平均点」
    ○「ゆったりとした心持ちがいいなと思いました」

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  6. 子守唄思い出して眠れないニートです(3点)

    【句評】
    ○「罪悪感はあるのに働かない。それでこそニート」
    ○「眠れない理由を捻出した、そんな作者の心持ちを思い浮かべました」
    ○「本来は眠るための子守唄を思い出したのに、そのせいで眠れない。ニートということなので、不安や焦りからそういう心境になるんだろうなと思うのだけれど、『ニートです』という言葉で終わるおかげで、投げ遣りと取れるほどの諦念もプラスされているよう。この句の主人公は、こういう夜を何度か繰り返すのだろうな、と思えました。そして律・語感が軽いので、本当は追い詰められているであろう情景なのに、最終的な句の印象が重くならない。自分でもそういう時期が合ったので分かるのですが、確かにニートってこう。これぞニート。とりあえず夜が明けたらハローワークに行きましょう」

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  7. Uターンおばさん撃たれたみたいに(3点)

    【句評】
    ◎「自転車を急にUターンさせるおばさんを思い浮かべて、思わず笑ってしまいました。最高です」
    ○「そうそう。地下街や商店街、というか道を歩けば、このUターンによくあう。撃たれたみたいとは、面白い比喩。撃ってやりたいと思う事もある(笑)」

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  8. ひとりで来た顔をして墓へ(3点)

    【句評】
    ○「そのまま読みました。連れがいるにも関わらず、先に墓地へ入っていって、さもひとりで来ましたよという顔をしているところです。何気ない日常ですが、おもしろみがあります」
    ○「墓と言う場所の陰気な湿っぽさを、上手くとらえた一句だと思いました」
    ○「この句の主人公が一人で墓参りに来なければならなかった理由を想像するだけで小説が一編書けそうだ。その場の描写だけで終わらない広がりのようなものがある」

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  9. 蚊の音たたく音して蚊の音(2点)

    【句評】
    ○「いい眼差しです。『音』の数も蚊のうるささを上手く表現している」
    ○「句材としては類句の多そうなベタ句だが、音韻を巧みに使い『うた』としての完成度を高めている」

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  10. 夕餉のにおいの間を走る(2点)

    【句評】
    ◎「家に帰ろうと走る子供が語り手となって様々な家庭の営みを教えてくれる。シンプルながらも内容の濃い句」

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  11. 深夜の道漕ぐ少年四人(2点)

    【句評】
    ○「深夜の悪ガキの事であるが、漕ぐという表現がハマった感じ」
    ○「最後が『ん』と抜ける音で終わり、かつ4・4・4・3のリズムで読んだので、まずは自転車を漕ぐ疾走感があり、そこに深夜と少年が重なってくることで、少年期の深夜にありがちな万能感も受け取れました。それが四人もいるんですから、もう、彼らは何処までも行けそうです。何処まで行くのか、行けるのか分かりませんが、僕も混ざって走り出したくなりました」

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  12. ひねもすぐうだらたばこのから箱(2点)

    【句評】
    ◎「リズムが良い。音の転がりがあって、『うた』として大変気持ち良く、それでいて、描かれた情景は退廃的な男の日常。文句なしに好き句」

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  13. 躑躅の甘い匂いがして学生はまだ知らないらしい(1点)

    【句評】
    ◎「これだけ饒舌であって、一番肝心なところは語らない省略の手法が見事。躑躅と学生の関係性に、そこはかとなく艶めかしい空気が漂う。だがそこは、説明しない。誰もが知りたいと思うことは、あえて言葉にしないものなのだ」
    ●「もう少し音読しやすくしたほうが良いように思いました」

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  14. 恥で済めば安いものだと六十八の父(1点)

    【句評】
    ○「肉声を惜しみなく盛り込めるのも自由律俳句の特徴。その生々しさでしか描けないものもある。この教訓は個人的に覚えておきたい」

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    1. ありがとうございます。一点でも入って嬉しいです。
      皆さんの句を見ていると、私は平凡に作っていたなと
      そういう所を反省させられました。

      この父の言葉にはっとさせられました。
      学問上のことや、詩歌のことで恥ずかしい思いをしても、
      その恥ずかしいうちにきちんと訂正をして改めれば、
      何も悪いことは起こらないのだということです。

      こういう時の態度一つで、その場所にいられなくなったり、
      大切な関係がくずれてしまうと、もうそれは「実害」となって、
      長い間自分自身を苦しめるようになるのだと、
      そんな風に思いました。

      私は漢詩以外の詩歌を作る時は、故事などを漢籍から引用する
      ことはあっても、漢詩と同じにならないように配慮しています。

      それは自由律俳句ならではの良さを
      きちんと追究したいと思っているからです。

      こちらも初心に返って、これからもしっかりと学んでいきます。
      これからもよろしくお願いいたします。

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  15. 五月雨を殴って気が済むか(1点)

    【句評】
    ○「『空手バカ一代』のキャラクターのツラが、何故か浮かんできた一句でした」

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  16. 潰れた毒毛虫の黄色のハラワタ(1点)

    【句評】
    ○「写生句だろうけど、詠んでいる景がエグい。毒毛虫のハラワタが潰れている様は、現代の様相のような気もする」
    ○「ドライな観察眼が良いなと思いました」
    ●「まず、グロい。なぜか、とある地方の風土料理の名前のようにも見て取れるのが面白いです。『気持ち悪い』という理由から、逆選句にさせていただきました。もしも、風土料理だとすれば、これは、つまみでしょうね。これに似合うお酒は、芋焼酎か?このさい酒側も、臭いほうが助かります。黄色いハラワタが、少し、トマトっぽさそうで、ジューシー」

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    1. 風狂子さんへ

      どうも、ごぶさたです。
      逆選をいたしました祖啓です。

      実は、この句に対して
      「どうしてこんなグロい内容を、読み手はみつめているのだろうか?はて?」
      と、いう感覚でいたのですが、
      今日、たまたま、俳句を全く詠まない友達に、このHPを閲覧してもらった時に、
      「この句は、生き物の死ぬ姿をみつめているんですね。」
      という感想を聞いて、やっと、この句の読み手の気持ちをイメージすることができました。

      ただグロい、エグイ、という事なのではなくて、
      生き物の死、そのものをみつめている事によって、
      読み手は、己の生を体感している。
      この黄色のハラワタから、生きる、死ぬって事は、なんていう沈黙なのか、という事が伝わってくるような気がします。

      うーん、この解釈で合っているのか?
      ぜひとも、たずねてみたいところです。

      削除
    2. 祖啓さん、どうも今晩は。
      まさかの逆選有り難う御座いますwww

      >うーん、この解釈で合っているのか?
      >ぜひとも、たずねてみたいところです。

      え~っと、この句についての自解をご希望ですか?
      それは単に、俺がグロ趣味なだけって話ですよ。








      嘘ですw


      まあ、描いてる景としては、そのまんま「毛虫が黄色いジゴぶちまけて潰れてる」というだけの句ですね。

      >この句は、生き物の死ぬ姿をみつめているんですね。
      >生き物の死、そのものをみつめている事によって、己の生を体感している。

      そういえば、並選の句評の中には

      >毒毛虫のハラワタが潰れている様は、現代の様相のような気もする

      という読みもありましたね。どの読みも作った私としては凄く嬉しいものです。
      さて、それらの読みの中で、私の句作時の心境に最も近いのはどれかと申しますと……。

      正直な話、よくわかりません。
      きっと、どの読みも間違いではない気がします。

      多分、俺はそれが口で説明出来るのなら、句にはしてないですし、特に句にする必要もないと思います。

      ただ、この毛虫が潰れた様を句にしようと思ったからには、確実に俺の心には何らかの動きがあったのでしょう。
      それはきっと、普通に生活していたら、あっという間に見逃してしまう様な微かな心の動きなのだろうとは思います。
      しかし、たとえ微かであろうと、心が動いたからには、何かしらそれなりの理由があるのです。そうに違いないのです。

      ……ですが、今の俺には、その微かな心の動きの理由を説明出来る言葉が無いのです。


      ここだけの話、実は俺にとっての自由律俳句の魅力のひとつに、この言葉で説明出来ないくらいの微かな心の動きを捕える事が出来るという点があったりします。


      う~ん、うまく説明出来ている気がしないのですが、そろそろ終わりにします。
      多少なりとも何か伝わったでしょうか?

      何かせっかく質問して下さったのに煙に巻いてはぐらかしたみたいなお返事になってしまいましたが、これでも、精一杯誠実にお答えしたつもりなのです。
      どうぞ、ご勘弁くださいね。ではでは。

      削除
    3. 中筋 祖啓2012年7月9日 22:47

      風狂子さんへ

      <ここだけの話、実は俺にとっての自由律俳句の魅力のひとつに、この言葉で説明出来ないくらいの微かな心の動きを捕える事が出来るという点があったりします。

      この一文で、すっきり感でした。

      毛虫側としても、様々な事情があったのでしょうから、
      この句は、風狂子さんと毛虫の合作であり、
      それで、自分一人での説明が困難なのかも知れない、と、思いました。
      うーん、本当に、色んな見方がありますね。

      削除
  17. 萎えてしまった電話だ(1点)

    【句評】
    ○「盛り上がっているところに水を差されたのでしょうね。愛をささやいているところに、『眠いから切るね』などと言われたのかも知れません」
    ○「なんか、これは、食欲にしろ、性欲にしろ、自己愛にしろ、人間の根源的な欲望がピークに達した瞬間から興ざめする現象を上手くとらえているような気がします」
    ●「なるべく短く決める、というのは自由律の作句におけるひとつの挑戦だ。今回の特・並選理由では『語らない』良さ、について言及もした。以上ふたつの点を鑑みると、この句も評価されて然るべきなのかもしれない。しかし、ひと味、物足りない。この場合は何か別な要素をひとつ、加えるべきだったのでは」

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  18. この手のひらを選んでくれた雨粒(1点)

    【句評】
    ○「私は世の中の誰からも必要とされていない人間なのではないか。そんな気分に陥ることがある。雨粒が、手のひらを打つ。それを『選んでくれた』と感謝してしまうところに、雨粒の他の誰からも選ばれない者の哀しみを見る。自由律俳句の、『生きづらさを訴える詩型』としての一面」

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  19. 鴉の形した咳を闇へ放す(−1点)

    【句評】
    ○「強い詩性が感じられる。優れた一行詩」
    ●「完全に独りよがりです。作者はナルシストでしょう。全体的に前回より駄句が多かった気がします。俳句には共感性がなければ、感動はありえません。実情を入れ読み手にわかりやすく伝えるようにすべきです。自由律初心者ならよく勉強しましょう。経験者は才能ないのでやめたほうがいいです。オナニーなら一人でやって下さい」
    ●「『鴉の形した咳』なので、この咳はあまり良いものではないなという風に受け取りました。その後の『闇へ放す』についても、その通り闇へ放したのだろうな、と思えました。とは言え、『闇へ放す』がだいぶ仕上がった表現だと思うので、わざわざ『鴉の形』と言わず、ただ『咳』とした方が良かったんではないかなと思います」

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    1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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    2. 確かに人格攻撃は良くありませんね。
      舌鋒鋭いのは結構ですが、
      あまりやり過ぎると自分の句風を狭めますよ。
      …と経験者は語る(笑)

      削除
    3. (一部コメント修正の上、再掲します)

      こんばんは、ナルシスト畦道です。

      6月2日、白川玄齋さんは『鉄塊』ブログでこう書きました。

      >社会一般でいう「本音」とは相手への配慮などを
      >きちんと準備した上で、
      >自分の気持ちを誠実に語ることだと思っています。

      一方、拙句への評がこちら。

      >作者はナルシストでしょう。
      >才能ないのでやめたほうがいいです。
      >オナニーなら一人でやって下さい

      この評者は、玄齋さんの書いたことを、どう読んだのでしょう。
      実に下劣な、人格攻撃です。
      同じレベルで評者を罵倒するのは簡単。
      公開の場なので、そのほうが面白いのも充分承知。
      でも、私はそうしません。
      何故なら私は、句評も作だと思っているからです。
      その点、上に引用した評者の作は、0点。

      ご苦労様です。

      削除
    4. 畦道さん

      コメント修正、ありがとうございます。
      早とちりして済みません。。。

      その句評の全体からすると、

      > 俳句には共感性がなければ、感動はありえません。
      > 実情を入れ読み手にわかりやすく伝えるようにすべきです。

      この部分だけでも十分伝わると思います。

      この句評を書いた評者さんにも、
      この点に関して、少しご一考いただければと思います。

      削除
    5. コメントありがとうございます。

      そうなんです、議論の余地は、部分的にあるんです。
      なのにその機会を、評者が台無しにしている。

      それが残念でした。

      削除
  20. アリ影や今となっては面影よ(−1点)

    【句評】
    ●「まず『アリ影』がわからない。『蟻影』なのかはたまた『モハメド・アリの影』なのか。色々調べてみたがやはりわからなかった。わからなさが魅力になっている句もあるにはあるが、単語そのものの意味がわからないのはどうかと思う。これでは鑑賞のしようがない」

    返信削除
  21. さわやかおばさん自転車の怪異(−2点)

    【句評】
    ○「正直、初めて目にしたときは何だこれと思った。しかし、舌の上に何度も乗せてみると、だんだん面白くなってくる。おそらく、おばさんはすでにこの世のものではないのだろう。さわやかな亡霊。その怪異を、怪異と言わず表せたら特選もあったと思う。しかし、二度同じ手は通じない、とも言っておきたい」
    ●「句として見るのはツライ。一昔前のアニメのタイトルとか、そんな感じがする」
    ●「状況を理解できませんでした。『さわやかおばさん』とは(あるいは『さわやか』と『おばさん』は別物か)、『自転車』とは、そして何より『怪異』とは。それぞれの意味するところが見えませんでした」
    ●「未だ句材としてのメモの段階だと思う」

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    1. いやあ、投句をいたしました中筋祖啓です。

      今回の鉄塊の句評から、どうしてこういう句を自分自身が詠んでいたのか?
      という裏づけが自分自身で納得することができました。

      おんなじ気持ちで選んだはずの三句の中で、どうしてこの句だけ、
      妙にひっかかってしまったのか?

      まず、振り返って解説をしますに、「さわやかおばさん自転車の怪異」というヘンテコな句のイメージは、
      昭和18年(1943年)4月に、轟夕起子の歌でレコード発売された
      「お使いは自転車に乗って」という戦前歌謡のようなイメージのおばさんの事をさします。

      こんな、動画、画像になります。

      http://www.youtube.com/watch?v=c37h7BRL8Dw
      http://hirosikun.at.webry.info/200908/article_8.html
      http://blogs.yahoo.co.jp/maki57562000/50977632.html
      http://www.youtube.com/watch?v=-iuoXW2b2-c

      私自身、この歌が好きでカラオケでよく歌うのですが、それはさておき!
      この句が生まれた背景としましては、町をテクテク散歩している最中に、
      住宅地の狭い路地などで、突然横から、サンバイザーをしているさわやかなおばさんが、
      ツツーっ!と、一種のポルターガイストのように目の前に現れて、ふっと気がついたら、
      もうすでに姿が見えなくなっていた、という奇っ怪な現象をさします。

      私にとって、このように突然、街中に神出鬼没にあらわれては姿が見えなくなる、
      さわやかなおばさんの姿が、河童や座敷わらしといった、一種の妖怪のようなイメージとして
      定義づけられていたようであります。

      よって、今回分かりましたのは、こういった言葉の使い方は、自由律俳句というよりも、
      「妖怪ネーミングシリーズ」とでも、いったほうが正しかったようです。

      自分自身にとって、この光景は、「妖怪だ!」と、日ごろ思っていた現象に
      ネーミングをつけた事によって生まれたのが
      「さわやかおばさん自転車の怪異」という文章であって、俳句の定義からは随分と、
      かけ離れてしまっていたようであります・・・。うーん、失礼いたしました。

      実は、この句以外にも、以前、

      ・大食卓帝国陸海軍

      という、ヘンテコな文章が詠めて、なぜか自分自身、気に入っていたのですが、これも
      どうやら、俳句と言うよりも、「妖怪ネーミングシリーズ」の一端であったのかと納得がいきました。

      ・大食卓帝国陸海軍 という言葉のイメージ

      https://www.google.co.jp/search?aq=f&hl=ja&rlz=1T4ADFA_jaJP473JP473&q=%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9&gs_upl=0l0l4l951lllllllllll0&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=0izzT-TEKeHtmAWz1pmwCQ&biw=1400&bih=820&sei=2SzzT-HpDNCZmQXS6ei1CQ

      これは、中華料理のフルコースなどを食べる際に、
      あたかも、自分の目の前の食卓に、千年帝国の興亡を一挙に傍観したかのような
      壮大なスケールを感じてしまった錯覚にネーミングをつけて、

      「これは、大食卓帝国陸海軍だ!」

      と、納得して、自分自身を安心させたかったようであります。


      よって、「さわやかおばさん自転車の怪異」「大食卓帝国陸海軍」などというヘンテコな文章が生まれましたなりゆきは、
      自分自身の体験の中で、「たしかにこれは、怪奇現象だ!妖怪だ!」と感じている出来事に、
      名前をつけて安心したい人間の欲求が本能として存在する、という事を指しているようです。

      うーん、こうやって、妖怪ってみんなが発明していくのかって思いました・・・。
      なんとも、意外な発見につながりました。

      よって、こういう逆選を皆さんからいただいたのも、ある意味当然の結果だったようで、

      ●「句として見るのはツライ。一昔前のアニメのタイトルとか、そんな感じがする」

      というコメントが、今回、非常に的を得ていました。どなたでしょう?
      このコメントが、どうも、非常に腑に落ちましたよ!

      削除
    2. いやあ、投句をいたしました中筋祖啓です。

      今回の鉄塊の句評から、どうしてこういう句を自分自身が詠んでいたのか?という裏づけが自分自身で納得することができました。

      おんなじ気持ちで選んだはずの三句の中で、どうしてこの句だけ、妙にひっかかってしまったのか?

      まず、振り返って解説をしますに、「さわやかおばさん自転車の怪異」というヘンテコな句のイメージは、昭和18年(1943年)4月に、轟夕起子の歌でレコード発売された「お使いは自転車に乗って」という戦前歌謡のようなイメージのおばさんの事をさします。

      こんな、動画、画像になります。

      http://www.youtube.com/watch?v=c37h7BRL8Dw
      http://hirosikun.at.webry.info/200908/article_8.html
      http://blogs.yahoo.co.jp/maki57562000/50977632.html
      http://www.youtube.com/watch?v=-iuoXW2b2-c

      私自身、この歌が好きでカラオケでよく歌うのですが、それはさておき!この句が生まれた背景としましては、町をテクテク散歩している最中に、住宅地の狭い路地などで、突然横から、サンバイザーをしているさわやかなおばさんが、
      ツツーっ!と、一種のポルターガイストのように目の前に現れて、ふっと気がついたら、もうすでに姿が見えなくなっていた、という奇っ怪な現象をさします。

      私にとって、このように突然、街中に神出鬼没にあらわれては姿が見えなくなる、さわやかなおばさんの姿が、河童や座敷わらしといった、一種の妖怪のようなイメージとして定義づけられていたようであります。

      よって、今回分かりましたのは、こういった言葉の使い方は、自由律俳句というよりも、「妖怪ネーミングシリーズ」とでも、いったほうが正しかったようです。

      自分自身にとって、この光景は、「妖怪だ!」と、日ごろ思っていた現象にネーミングをつけた事によって生まれたのが「さわやかおばさん自転車の怪異」という文章であって、俳句の定義からは随分と、かけ離れてしまっていたようであります・・・。うーん、失礼いたしました。

      実は、この句以外にも、以前、

      ・大食卓帝国陸海軍

      という、ヘンテコな文章が詠めて、なぜか自分自身、気に入っていたのですが、これもどうやら、俳句と言うよりも、「妖怪ネーミングシリーズ」の一端であったのかと納得がいきました。

      ・大食卓帝国陸海軍 という言葉のイメージ

      https://www.google.co.jp/search?aq=f&hl=ja&rlz=1T4ADFA_jaJP473JP473&q=%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9&gs_upl=0l0l4l951lllllllllll0&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=0izzT-TEKeHtmAWz1pmwCQ&biw=1400&bih=820&sei=2SzzT-HpDNCZmQXS6ei1CQ

      これは、中華料理のフルコースなどを食べる際に、あたかも、自分の目の前の食卓に、千年帝国の興亡を一挙に傍観したかのような壮大なスケールを感じてしまった錯覚にネーミングをつけて、

      「これは、大食卓帝国陸海軍だ!」

      と、納得して、自分自身を安心させたかったようであります。


      よって、「さわやかおばさん自転車の怪異」「大食卓帝国陸海軍」などというヘンテコな文章が生まれましたなりゆきは、自分自身の体験の中で、「たしかにこれは、怪奇現象だ!妖怪だ!」と感じている出来事に、名前をつけて安心したい人間の欲求が本能として存在する、という事を指しているようです。

      うーん、こうやって、妖怪ってみんなが発明していくのかって思いました・・・。
      なんとも、意外な発見につながりました。

      よって、こういう逆選を皆さんからいただいたのも、ある意味当然の結果だったようで、

      ●「句として見るのはツライ。一昔前のアニメのタイトルとか、そんな感じがする」

      というコメントが、今回、非常に的を得ていました。どなたでしょう?
      このコメントが、どうも、非常に腑に落ちましたよ!

      削除
    3. いやあ、投句をいたしました中筋祖啓です。

      今回の鉄塊の句評から、どうしてこういう句を自分自身が詠んでいたのか?という裏づけが自分自身で納得することができました。

      おんなじ気持ちで選んだはずの三句の中で、どうしてこの句だけ、妙にひっかかってしまったのか?

      まず、振り返って解説をしますに、「さわやかおばさん自転車の怪異」というヘンテコな句のイメージは、昭和18年(1943年)4月に、轟夕起子の歌でレコード発売された「お使いは自転車に乗って」という戦前歌謡のようなイメージのおばさんの事をさします。

      こんな、動画、画像になります。

      http://www.youtube.com/watch?v=c37h7BRL8Dw
      http://hirosikun.at.webry.info/200908/article_8.html
      http://blogs.yahoo.co.jp/maki57562000/50977632.html
      http://www.youtube.com/watch?v=-iuoXW2b2-c

      私自身、この歌が好きでカラオケでよく歌うのですが、それはさておき!この句が生まれた背景としましては、町をテクテク散歩している最中に、住宅地の狭い路地などで、突然横から、サンバイザーをしているさわやかなおばさんが、
      ツツーっ!と、一種のポルターガイストのように目の前に現れて、ふっと気がついたら、もうすでに姿が見えなくなっていた、という奇っ怪な現象をさします。

      私にとって、このように突然、街中に神出鬼没にあらわれては姿が見えなくなる、さわやかなおばさんの姿が、河童や座敷わらしといった、一種の妖怪のようなイメージとして定義づけられていたようであります。

      よって、今回分かりましたのは、こういった言葉の使い方は、自由律俳句というよりも、「妖怪ネーミングシリーズ」とでも、いったほうが正しかったようです。

      自分自身にとって、この光景は、「妖怪だ!」と、日ごろ思っていた現象にネーミングをつけた事によって生まれたのが「さわやかおばさん自転車の怪異」という文章であって、俳句の定義からは随分と、かけ離れてしまっていたようであります・・・。うーん、失礼いたしました。

      実は、この句以外にも、以前、

      ・大食卓帝国陸海軍

      という、ヘンテコな文章が詠めて、なぜか自分自身、気に入っていたのですが、これもどうやら、俳句と言うよりも、「妖怪ネーミングシリーズ」の一端であったのかと納得がいきました。

      ・大食卓帝国陸海軍 という言葉のイメージ

      https://www.google.co.jp/search?aq=f&hl=ja&rlz=1T4ADFA_jaJP473JP473&q=%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9&gs_upl=0l0l4l951lllllllllll0&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=0izzT-TEKeHtmAWz1pmwCQ&biw=1400&bih=820&sei=2SzzT-HpDNCZmQXS6ei1CQ

      これは、中華料理のフルコースなどを食べる際に、あたかも、自分の目の前の食卓に、千年帝国の興亡を一挙に傍観したかのような壮大なスケールを感じてしまった錯覚にネーミングをつけて、

      「これは、大食卓帝国陸海軍だ!」

      と、納得して、自分自身を安心させたかったようであります。


      よって、「さわやかおばさん自転車の怪異」「大食卓帝国陸海軍」などというヘンテコな文章が生まれましたなりゆきは、自分自身の体験の中で、「たしかにこれは、怪奇現象だ!妖怪だ!」と感じている出来事に、名前をつけて安心したい人間の欲求が本能として存在する、という事を指しているようです。

      うーん、こうやって、妖怪ってみんなが発明していくのかって思いました・・・。
      なんとも、意外な発見につながりました。

      よって、こういう逆選を皆さんからいただいたのも、ある意味当然の結果だったようで、

      ●「句として見るのはツライ。一昔前のアニメのタイトルとか、そんな感じがする」

      というコメントが、今回、非常に的を得ていました。どなたでしょう?
      このコメントが、どうも、非常に腑に落ちましたよ!

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    4. いやあ、投句をいたしました中筋祖啓です。

      今回の鉄塊の句評から、どうしてこういう句を自分自身が詠んでいたのか?という裏づけが自分自身で納得することができました。

      おんなじ気持ちで選んだはずの三句の中で、どうしてこの句だけ、妙にひっかかってしまったのか?

      まず、振り返って解説をしますに、「さわやかおばさん自転車の怪異」というヘンテコな句のイメージは、昭和18年(1943年)4月に、轟夕起子の歌でレコード発売された「お使いは自転車に乗って」という戦前歌謡のようなイメージのおばさんの事をさします。

      こんな、動画、画像になります。

      http://www.youtube.com/watch?v=c37h7BRL8Dw
      http://hirosikun.at.webry.info/200908/article_8.html
      http://blogs.yahoo.co.jp/maki57562000/50977632.html
      http://www.youtube.com/watch?v=-iuoXW2b2-c

      私自身、この歌が好きでカラオケでよく歌うのですが、それはさておき!この句が生まれた背景としましては、町をテクテク散歩している最中に、住宅地の狭い路地などで、突然横から、サンバイザーをしているさわやかなおばさんが、
      ツツーっ!と、一種のポルターガイストのように目の前に現れて、ふっと気がついたら、もうすでに姿が見えなくなっていた、という奇っ怪な現象をさします。

      私にとって、このように突然、街中に神出鬼没にあらわれては姿が見えなくなる、さわやかなおばさんの姿が、河童や座敷わらしといった、一種の妖怪のようなイメージとして定義づけられていたようであります。

      よって、今回分かりましたのは、こういった言葉の使い方は、自由律俳句というよりも、「妖怪ネーミングシリーズ」とでも、いったほうが正しかったようです。

      自分自身にとって、この光景は、「妖怪だ!」と、日ごろ思っていた現象にネーミングをつけた事によって生まれたのが「さわやかおばさん自転車の怪異」という文章であって、俳句の定義からは随分と、かけ離れてしまっていたようであります・・・。うーん、失礼いたしました。

      実は、この句以外にも、以前、

      ・大食卓帝国陸海軍

      という、ヘンテコな文章が詠めて、なぜか自分自身、気に入っていたのですが、これもどうやら、俳句と言うよりも、「妖怪ネーミングシリーズ」の一端であったのかと納得がいきました。

      ・大食卓帝国陸海軍 という言葉のイメージ

      https://www.google.co.jp/search?aq=f&hl=ja&rlz=1T4ADFA_jaJP473JP473&q=%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9&gs_upl=0l0l4l951lllllllllll0&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=0izzT-TEKeHtmAWz1pmwCQ&biw=1400&bih=820&sei=2SzzT-HpDNCZmQXS6ei1CQ

      これは、中華料理のフルコースなどを食べる際に、あたかも、自分の目の前の食卓に、千年帝国の興亡を一挙に傍観したかのような壮大なスケールを感じてしまった錯覚にネーミングをつけて、

      「これは、大食卓帝国陸海軍だ!」

      と、納得して、自分自身を安心させたかったようであります。


      よって、「さわやかおばさん自転車の怪異」「大食卓帝国陸海軍」などというヘンテコな文章が生まれましたなりゆきは、自分自身の体験の中で、「たしかにこれは、怪奇現象だ!妖怪だ!」と感じている出来事に、名前をつけて安心したい人間の欲求が本能として存在する、という事を指しているようです。

      うーん、こうやって、妖怪ってみんなが発明していくのかって思いました・・・。
      なんとも、意外な発見につながりました。

      よって、こういう逆選を皆さんからいただいたのも、ある意味当然の結果だったようで、

      ●「句として見るのはツライ。一昔前のアニメのタイトルとか、そんな感じがする」

      というコメントが、今回、非常に的を得ていました。どなたでしょう?
      このコメントが、どうも、非常に腑に落ちましたよ!

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    5. 祖啓さん。
      その句評及び逆選は、私です。
      ちなみに、Uターンおばさんの句に並選もいれてまして、正直面白い作者だなと思ってましたよ。
      今回この御句に関しては、やはり句評で述べている印象が、僕のこの句の評価であります。
      どうも、失礼いたしました。

      削除
    6. 「さわやかおばさん」のフレーズが結構好きだったので私は逆選にしなかったのですが、
      もう少し時代が進むと祖啓さんのこの句が当たり前になるかもしれませんよ。
      祖啓さんの句評を読んでいて、面白い受取り方をする方だなと思ってましたし。
      アバンギャルドな感性は糾弾されることも多々ありますが、
      もしそれが「ポーズ」ではなく「まごころ」であれば、
      私は応援したいです。

      以上、第一回逆選王の藤井でした(笑)

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    7. 渋谷さんへ

      うーん!なるほどでした。
      私が、おばさんという存在を、妖怪としてとらえていたので、アニメっぽく見えたのでしょう。
      イメージの組み合わせとして、整っているような気がします。

      雪兎さんへ

      アバンギャルド、、、、、が分からなく辞書を調べまして、前衛芸術と知り、
      これは、どうなのか自分でもよく分からないので、
      天命に任せてみようと思いました。

      うーん、次への活力にします。

      ところで逆選王って、笑点で山田さんに全部座布団をとられた時の落語家のような気分になりますね。

      削除
    8. >ところで逆選王って、笑点で山田さんに全部座布団をとら>れた時の落語家のような気分になりますね。

      主に木久蔵さんがそのポジションですよね(笑)
      座布団を全部取られた時の呆然とした顔に世の無常を感じます。
      でも大喜利で一番盛り上がるシーンでもありますね。

      削除
  22. 以上で句評は終了です。
    後はご自由に意見や批判等ございましたらコメント欄にご記入下さい。
    お疲れ様でした。

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  23. いやあ、投句をいたしました中筋祖啓です。

    今回の鉄塊の句評から、どうしてこういう句を自分自身が詠んでいたのか?という裏づけが自分自身で納得することができました。

    おんなじ気持ちで選んだはずの三句の中で、どうしてこの句だけ、妙にひっかかってしまったのか?

    まず、振り返って解説をしますに、「さわやかおばさん自転車の怪異」というヘンテコな句のイメージは、昭和18年(1943年)4月に、轟夕起子の歌でレコード発売された「お使いは自転車に乗って」という戦前歌謡のようなイメージのおばさんの事をさします。

    こんな、動画、画像になります。

    http://www.youtube.com/watch?v=c37h7BRL8Dw
    http://hirosikun.at.webry.info/200908/article_8.html
    http://blogs.yahoo.co.jp/maki57562000/50977632.html
    http://www.youtube.com/watch?v=-iuoXW2b2-c

    私自身、この歌が好きでカラオケでよく歌うのですが、それはさておき!この句が生まれた背景としましては、町をテクテク散歩している最中に、住宅地の狭い路地などで、突然横から、サンバイザーをしているさわやかなおばさんが、
    ツツーっ!と、一種のポルターガイストのように目の前に現れて、ふっと気がついたら、もうすでに姿が見えなくなっていた、という奇っ怪な現象をさします。

    私にとって、このように突然、街中に神出鬼没にあらわれては姿が見えなくなる、さわやかなおばさんの姿が、河童や座敷わらしといった、一種の妖怪のようなイメージとして定義づけられていたようであります。

    よって、今回分かりましたのは、こういった言葉の使い方は、自由律俳句というよりも、「妖怪ネーミングシリーズ」とでも、いったほうが正しかったようです。

    自分自身にとって、この光景は、「妖怪だ!」と、日ごろ思っていた現象にネーミングをつけた事によって生まれたのが「さわやかおばさん自転車の怪異」という文章であって、俳句の定義からは随分と、かけ離れてしまっていたようであります・・・。うーん、失礼いたしました。

    実は、この句以外にも、以前、

    ・大食卓帝国陸海軍

    という、ヘンテコな文章が詠めて、なぜか自分自身、気に入っていたのですが、これもどうやら、俳句と言うよりも、「妖怪ネーミングシリーズ」の一端であったのかと納得がいきました。

    ・大食卓帝国陸海軍 という言葉のイメージ

    https://www.google.co.jp/search?aq=f&hl=ja&rlz=1T4ADFA_jaJP473JP473&q=%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9&gs_upl=0l0l4l951lllllllllll0&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=0izzT-TEKeHtmAWz1pmwCQ&biw=1400&bih=820&sei=2SzzT-HpDNCZmQXS6ei1CQ

    これは、中華料理のフルコースなどを食べる際に、あたかも、自分の目の前の食卓に、千年帝国の興亡を一挙に傍観したかのような壮大なスケールを感じてしまった錯覚にネーミングをつけて、

    「これは、大食卓帝国陸海軍だ!」

    と、納得して、自分自身を安心させたかったようであります。


    よって、「さわやかおばさん自転車の怪異」「大食卓帝国陸海軍」などというヘンテコな文章が生まれましたなりゆきは、自分自身の体験の中で、「たしかにこれは、怪奇現象だ!妖怪だ!」と感じている出来事に、名前をつけて安心したい人間の欲求が本能として存在する、という事を指しているようです。

    うーん、こうやって、妖怪ってみんなが発明していくのかって思いました・・・。
    なんとも、意外な発見につながりました。

    よって、こういう逆選を皆さんからいただいたのも、ある意味当然の結果だったようで、

    ●「句として見るのはツライ。一昔前のアニメのタイトルとか、そんな感じがする」

    というコメントが、今回、非常に的を得ていました。どなたでしょう?
    このコメントが、どうも、非常に腑に落ちましたよ!

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  24. 自由律に関しては門外漢ですが。

    ◎鴉の形した咳を闇へ放す

    「烏の形した咳」という比喩が新鮮。咳とともに自分の中の暗い部分を放ったのか。ここは「放つ」とした方がいいのではないかとも思うが、作者に寄り添って考えれば、「放つ」では自分の一部である心の闇を跡形もなく葬り去ってしまうことを惜しんだのだと思う。愛おしい自分の一部を、そっと「放す」ことを作者は選んだのだ。

    ○夕餉のにおいの間を走る

    仕事で疲れ切った躰に夕餉の匂いがまとわりつく。ハンバーグのデミグラスソースの匂いをふと想像した。ベタベタとした暑さの中、ベタベタとしたソース。その中を走る作者の孤独感は、大人が食べるお子様ランチのように切ない。

    お粗末でした。

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    返信
    1. 牛後さんへ

      拙句へのご意見、ありがとうございます。
      そうなんです、『つ』か『す』か、最後まで悩みました。
      結果、『つ』では意志が強すぎると判断した次第です。
      そっと、放す。その柔らかさを選びました。

      しかし、一読の響きでは『つ』が優るとの考えも捨てきれません。
      その点、未完成であったと反省しています。

      選んで頂けて、嬉しかったです。
      重ねて御礼申し上げます。

      畦道拝

      削除
    2. 牛後様、丁寧な句評をありがとうございます(´∀`)
      いつか「itak」と「鉄塊」で一緒に何かできたらいいですね。

      削除
    3. >畦道さん
      ちょっとした表現でも印象が変わりますよね。「放す」がよかったと思います。

      >雪兎さん
      はい、いずれ何か。

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