2013年12月14日土曜日

中塚一碧楼を読む~その三

中塚一碧楼の句の観賞です。

わが霧に濡るるおもてをあげる
何やら決意めいたものを感じます。ウ音便の効果でしょう。終止形で止めることで力強さが増しています。印象鮮烈な句。

秋の日の日中の野の石のぬくみ
確かに秋晴れの日には、石が温かく感じるものです。着眼点が素晴らしい句です。ここでの「の」の重ねは効果的かどうか、もう少し考えたいところです。

TRUKのような浴場が欲しい場末の秋だ
「TRUK」はトルコ。どうやらトルコ式の蒸し風呂のことのようです。珍しく観念的な句です。

青い林檎を噛じる何という眼の鋭さだ
印象鮮烈。赤ではなく「青」。「眼の鋭さ」と相まってナイフのような切れ味の句です。

草にあそぶこどもたち秋の日のてり
秋の原風景。現代ではなかなか見られない光景かもしれません。何気ない日常のひとこま。そこに詩性が吹き込まれています。これは一碧楼の句の特色のひとつとも言えるでしょう。現代の海紅においても、それは受け継がれているように感じます。

それでは、今回はこの辺にて。

2 件のコメント:

  1. TRUKのような浴場が欲しい場末の秋だ

    ウィキペディアによれば、日本でいわゆる「トルコ風呂」がはじまったのは、1951年のことだそうです。したがいまして、ここでの「TURKのような浴場」は、トルコにある蒸し風呂のことではないでしょうか。確かに寒い時期には行ってみたくなりますね。

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    1. kotoさん
      そうだったのですね(笑) では、評も変わってきますよね。
      ありがとうございました。

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