2013年4月29日月曜日

普段の漢文の易経の勉強の中で鉄塊やアぽろんの皆さんとの関わりを考えてみました


今は VT 句会と次の鉄塊句会のために句を作っております。
それと並行して、私が普段している勉強について述べていきます。

今回のことをまとめていく中で、私の二つの句会、
鉄塊とアぽろんの句友の皆さんへの
感謝の気持ちを忘れずにさらに学んでいこう、

改めてそんな気持ちになりました。


更にこうしてまとめることで、
皆さんの句作に何かお役に立てることができれば、
そんな風に願っています。


今は易と易経の勉強です。易経の言葉はどこを読んでも有意義なもので、
そこをきちんと学んでいけばあえて占う必要はないのです。

でも人の運命を見るのにいちいち全ての易経の文章を検討するというのは
とても大儀なことで、労力が多い割りに得る所が少ないのですので、

その多くの易経の文章からランダムに、あるいはある一定の規則に従って
選び出し、その選ばれた一つを子細に検討していくことで、
その人のためになる道理をきちんと説明することが出来るのです。

ですから易経の文句は実際にはどれを選んでもためになるのですが、
選び出して巡り会った言葉をしっかりと身につけていく、
そんな真摯な作業こそが易の最も重要な所だと思っています。


今は北宋(ほくそう)の邵雍(しょうよう)という学者について学んでおります。
とても尊敬する方です。市井の学者として官職に就いたこともない身の上で、
これほど評価の高い人もいないのです。

彼の易に対する深い学識と、友人たち、特に彼の友人兼パトロンとなった
司馬光(しばこう)という方が儒学者の間で高く評価されていたこともあって、
とても高い評価を受けた方です。

この方の易の考え方を勉強中です。自由研究のようなものですが、
こちらも楽しく学んでいこうと思います。


さて、占いのためには卦を立てる必要があるわけです。

正式なやり方は筮竹を使った長い手続きによって得られるのですが、
これを学んでいたのが入院中でしたので、

病室内で筮竹を使うことはためらわれました。
そこで別の方式をさらに学んでいました。

後はコインの表裏を使って卦を立てる方法もあり、
これも病室で小銭の音を立てるのも良くないだろう、

そう思って、コインの表裏の方式と同じ仕組みで、
乱数を使って卦を立てる Excel のマクロを作ったりしていました。

これはおもちゃとしては大変面白いのですが、
どこまで厳密な乱数なのかなど、諸々の問題があるわけです。


そこで、

邵雍の著書である『梅花易数(ばいかえきすう)』の中にあった、
暦を使って卦を立てる方法を利用してみようと思いました。

試しに中身を理解する意味でも、私自身を占っていきます。

今の自分の状況、人間関係や勉強の問題で、
この先どう進めていけばいいか、そんな内容で占ってみます。


暦を使う方法としては、まず、今の新暦を 農暦(のうれき)、
つまり中国で使われている太陰暦に変換します。

これはいろんなサイトがありますので、
検索していただければと思います。

これを学んでいたのが、平成二十五年の四月二十七日の午後二時、
これを農暦で表しますと、巳年の三月十八日の午の刻、となるわけです
(計算が間違えていたらご指摘をお願いいたします)。


さて、今から作るのは六十四卦で、
上と下の八卦に分かれています。

(一)まずは上の八卦の立て方から。

年月日の数を合計したものを八で割った余りを出します。

干支はどうするかと言いますと、子の年を一として、
一つずつ数字を上げていって、亥の年は十二とするわけです。

巳年は六となります。するとこの合計は、

6+3+18=27で、そこから8を割った余りは3となります。


これを卦の順番に当てはめます。

乾一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮四、坤八、となっていますので、
ここでは「離(り)」の卦になります。これが上の卦になります。


ちなみに「離(り)」の卦は以下のような画像になります。



図1、離(り)の卦


(二)次に下の卦は、その合計値に更に時刻の干支を
年と同じように数字にして合計し、それを八で割った余りを出します。

つまり午の刻ですから7になって、
27+7=34、8で割った余りは2になります。

ですから下の卦は「兌(だ)」の卦になります。
これは以下の画像のような形です。



図2、兌(だ)の卦


この上下二つの卦を重ねた六十四卦は、
「火沢睽(かたくけい)」というものになります。
こうしてできた卦を本卦(ほんか)と言います。


「睽(けい)」の卦は以下の画像のような形になります。



図3、睽(けい)の卦


次は先ほどの年月日時の合計値を六で割った余りを出します。

34の6で割った余りは4になります。

この部分が先ほどの六十四卦を示す横の六本の線である爻(こう)の
変化する部分です。これを動爻(どうこう)と言います。


今回は下から四番目がその動爻になります。
この動爻の陰陽が逆転して出来た卦を之卦(しか)と言います。

今回の之卦は「山沢損(さんたくそん)」となり、
以下の画像のような形です。



図4、損(そん)の卦


さて、ここでおさらいします。今回は私自身の状況を、
昨日の午後二時を起点に暦をもとに卦を立てました。

その内容は、 「睽(けい)」の卦の
下から四番目の線(爻(こう))が変化して、
「損(そん)」の卦に変わるものでした。さて、


以下はこの卦を立てた結果をどのように判断するかということです。
五行を元に五行のそれぞれがお互いに養ったり制約したりという関係を元に
判断していくというものもありますが、


ここでは易経の六十四卦の六本の線、
つまり爻(こう)を解説した爻辞(こうじ)を元に
判断をしていきます。こちらが易経の文句を元にするものです。


この場合の判断の仕方は朱子学の大成者の朱熹(しゅき)が著した
『易学啓蒙(えきがくけいもう)』によりますと、

一爻が変化した場合は本卦(ほんか)の
変化した爻(変爻(へんこう))の部分の爻辞で判断するとあります。

つまりは今回の場合は 「睽(けい)」の卦の下から四番目の爻の爻辞になります。ところで

『易学啓蒙』という本は安価な邦訳がなく、その上、

中国でもとても高い金額で売っていました。

この原文が見られるサイトは以下にあります。

宋の胡方平という人が解説を書いた『易学啓蒙通釈』という本です。
志のある人は読まれると良いと思います。

Internet Archive というサイトで検索ワードを 易學啓蒙通釋 としますと出てきます。


「睽(けい)」の卦の下から四番目の爻辞と、
その爻辞を解説した象伝(しょうでん)は以下のようになります。

原文、書き下し文の後、実際の説明に入っていきます。

まずは原文から。


●原文:

「九四、睽孤、遇元夫、交孚、厲无咎。 象曰、交孚无咎、志行也。」


※注: 「无」は「無」のことです。易経などではこの「无」を使いますが、
漢詩では「無」の方を使います。


●書き下し文:

「九四、孤(ひと)り睽(そむ)く、元夫(げんふ)に遇(あ)う、
交(こもごも)孚(まこと)あり、厲(あや)うけれども咎(とが)無し。

象(しょう)に曰(いわ)く、交孚にして咎無し、志(こころざし)行わるるなり。」


ところで、私が常に気をつけているのは、

書き下し文だけを書いて分かったような顔をしないということと、
市販の邦訳書をチェックすることはあっても、
それをそのまま書き写すような真似をしない、ということです。

この後は註釈をもとに分かりやすく解説をしていきます。


(睽の卦の形は図3を参照して下さい)


まず睽(けい)とは「背(そむ)く」という意味です。

この卦の形も八卦の「兌(だ)」、つまり沢の上に
八卦の「離(り)」、つまり火があるわけです。

水と火の関係、背き合う、ということです。
反目という言葉があるように、
お互いに背を向けて目を合わせないようなものです。


今回の本文を検討していきます。

まず最初の「九四」、二文字目の「四」はこの爻の位置、
下から四番目を指すわけです。

「九」はこの爻が陽の爻であることを意味します。


なぜ「九」なのかといいますと、これは、

五行の水、火、木、金、土に一、二、三、四、五と番号が振られていて、

このうちの陽の数である奇数の合計、1+3+5=9、となることから
九が爻の陽の数なわけです。

逆に陰の数の合計、2+4=6、六が爻の陰の数であり、
もしこの爻が陰であれば「六四」となるわけです。

ちょっとした豆知識です。さて、


「孤(ひと)り睽(そむ)く」とは、この四番目の爻の上下が陰の爻で、
その間で孤立するということです。


本来陰と陽は引きつけあいますが、対立や反目のある所では、
北宋の程頤(ていい)の注では「同気(どうき)相(あい)求(もと)む」、

つまり、 自分と同じような人と親しもうとするわけです。

良い交わりであれば君子の交わり、
悪い交わりであれば徒党を組むようなものです。

それぞれのケースの良い悪いは別として、
自分と同じような人を求めるようになってしまっているのです。


とりわけ、この「九四」は上にも下にも連れ合いがいない、
つまり「孤独」ということです。
くれぐれも誤解されないように言っておきますが、
周囲が小人ということではなくて、
一人違うことをしている、そんな孤独を感じているということです。


そんな時にどこに連れ合い、仲間が得られるか、ということになります。
それが「元夫(げんぷ)に遇(あ)う」です。

「元夫(げんぷ)」はもちろん「別れたあとの旦那さん」ではなくて、

「夫」は「匹夫の勇」の「夫」のように男性全般を表すもので、
勇気があって果断な人の象徴で、

「元」は程頤の注では「善」、

あるいは三国時代の魏の王弼(おうひつ)の注では「初」を表し、
一番下の陽の爻(初爻(しょこう))の「初九」を表します。


易には上下の卦の関係を表すものとして「応(おう)」があります。
これはその爻と三つ先の爻とが深い関わりを持つわけです。

本来どちらかが陰でどちらかが陽であれば引きつけあうわけですが、
この卦の中では反目していて同気相い求める状況ですから、
どちらも陽にもかかわらずお互いに引きつけ合うのです。

ちなみに一番下の初爻は学生、又は官職に就く前の人を象徴していて、
その人は果断に善を行う意思があるわけです。
もちろん周囲への影響力はまだ小さいわけですが。

そんな初九と孤独な九四とは、

「交(こもごも)孚(まこと)あり」又は「孚を交わす」となります。

「誠」は欲を少なくして行動に常があることで、
「孚」とは修養の結果養われた徳が外にまで現れ出ていて、
人に信じられるということです。

この場合、同類の二人は互いを認め合い、信頼し合う友となるわけです。

そして「厲(あや)うけれども咎(とが)無し」、
危険な状況にあってもその事実を受け止めて慎み深く行動すれば、
過ちを避けることが出来るということです。

過ちがないという意味ではありませんので要注意です。


次に爻辞を解説する象伝には、

「交(こもごも)孚(まこと)にして咎無し、
志(こころざし)行わるるなり。」

とあるわけです。前半部分は解説しました。


漢文での「夢」にはアメリカンドリームのような意味はなくて、
その場合には「志」を使います。


以上をまとめてみますと、

そんな仲間がいるということに安心した九四は、
状況を少しずつ整えて自分の志を行うようになる、ということです。

私も漢文や漢詩を続けながらつい最近まで孤独な状況でした。
自分の勉強が何の役に立つかも分からない状況でした。


そんな中から少しずつ仲間が出来て、自分の立場はある時には初九、
ある時には九四というようにいろんな友人が出来てきました。

それによってようやく少しは自信のようなものが出来て、
自宅での療養が続く中でも何とか勉強が出来ている状況です。


この先もそんな友人の一人一人、鉄塊やアぽろんの皆さんに
お返しできるものはたとえ出来なかったとしても、

自分の勉強をしっかりと進めていくべきだと、
そういうことを示していると思いました。

これからもしっかりと学んでいきます。(了)

2 件のコメント:

  1. 記事拝見しました。孤独はその人を深めはしますが、進ませはしないですよね。私は既に白川さんからいろいろもらっておりますよ(´∀`) これからもよろしくです。

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    1. > 藤井雪兎さん

      おはようございます。早速のコメントありがとうございます。お互いを認め合い高め合う仲間が大事だと、今回の記事を書きつつ思いました。引き続き次の VT 句会と鍛錬句会に向けて学んでいきます。

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