退屈な街だ、と唾を吐き捨てるように、この景色と訣別したのは今から二十数年前。そして東京で食い詰め、帰ってきたのが三年前。私は何を成し遂げることもなく、ただ無駄に歳を重ねていた。デパートの屋上の小さな観覧車に乗って、しばらく景色を眺めていただけ。思えばそれが私の東京暮らしだった。
エレベーターを最上階で降りると、ペットショップがある。熱帯魚や小鳥、齧歯目などが、水槽、籠、プラスチックのケースなど、それぞれ適した住処に納まる。日向の水がみるみる乾いていくときのような、蒸れた生命の匂いがそこらじゅうにたちこめている。私は少し噎せそうになりながら足早に、香ばしい店内を通り過ぎた。
屋上に一歩出ると、それまでとは質の異なる喧噪に包まれる。色とりどりの遊具やゲーム機が奏でる電子音だ。強い日差しと相まって、軽いめまいを覚えた。平日の午後とあって、客は少ない。そこで色彩と音響の洪水に包まれ、一瞬にして異世界へ迷い込んだような錯覚を起こしたのだった。
観覧車はその中心をピンクのガーベラに似た花で飾られていた。星形に組まれた鉄骨の先から、一台毎に色の違うゴンドラがぶら下がる。観覧車それ自体が、一枚いちまい違う色の花びらを持つ、大きな花のようでもあった。
深酒をして、昼近くに起きた体である。コンクリートの照り返しがきつい。そして何より、子連れでもないのに屋上遊園地にぼうっと佇む中年男、という己の半端さが居心地悪く、早々に屋根の下に入った。
ゲームコーナーに人影はない。それでも電子音は鳴り続けていた。客が来てからコンセントを入れるわけにもいかないのだろうから仕方ないが、電気の無駄という印象は否めない。誰も居ないのにけたたましく音楽を響かせる機械の数々は、いつの間にか個別に意志を持った生物へと変化しているのでは、との妄想を抱かせた。
私は近くを通りかかったポロシャツ姿の従業員を呼び止める。
すみません、と控えめに切り出した私の問いかけに、彼は怪訝そうな顔で答えた。
「カッパ……ですか」
「そう、カッパにね、ボールをぶつけるゲームなんだけど。知らないかな、誰か、長く勤めてる人とか」
その若い従業員から、答えが聞けるとは思っていなかった。彼は一度、店内に引っ込むと、スーツ姿で私よりも少し年下と思しき男を連れて戻ってきた。この遊園地とゲームコーナーの、責任者ということなのだろう。
「申し訳ありませんが、お客様」
その男は私の正面に向かい合い、私の後頭部を凝視するような目をしていた。私の頭の中に何が詰まっているのか、透かして見ているのだ。
「そのようなゲームは当園では扱っておりません」
「昔は確かにあったんだ。何年前くらいだろう、なくなったのは」
「申し訳ありません、存じ上げません」
調べてみて、分かり次第ご連絡しますというので、電話番号をメモして渡した。きっと電話はかかってこないだろうが、そうするしかない。
私が探していたのは『カッパKO』というゲームだった。コインを入れると忙しなく動き始めるカッパの人形に、ゴムのボールを投げつける。命中するとカッパは、クワックワッ、だったかケケケだったか、そんな声を上げ、さらに激しく踊る。それより少し前に大流行したモグラたたきに似た、ストレス解消のためのゲームだ。
この、どこかヒステリックともいえる遊びに、最も夢中だったのは高校の頃だった。放課後、友人たちとこのゲームコーナーに集まり、なけなしの小銭をつぎ込んではカッパにボールをぶつけていた。いま思えば、阿呆である。
ふざけて踊るカッパは、私そのものだった。当時の私は、部活動はせず成績もぱっとせず、当然ながら女にもさっぱりもてなかった。だから男友達とたむろして、カッパにボールをぶつけるぐらいしかすることがなかった。私は私の幻影にボールを投げつけ、己の無能を嘲笑っていたのだ。
そして二十数年に渡る無為な東京暮らしに見切りをつけ、私はこの街に帰ってきた。ふと再会したくなったのは当時の友達ではなく、カッパだった。結局帰ってきちゃったよ、と言いたかった。
自分を、変えたい。今の自分は何者でもない、踊るカッパの人形だ。この街を出て、ひとかどの者となり、私にボールをぶつけた奴らを見返してやる。
……そんな狂おしい思いに苛まれた、十代のある日のことだった。私は確かに聞いたのだ、カッパの声を。
(ぶつけろよ、思い切り)
そのときは友達と一緒ではなく、私ひとりだった。いつものようにゲーム機にコインを入れ、ボールを握りしめると、カッパがそう言った……ような気がした。
(自分を壊したいんだろう?)
(ぼくはちょっとやそっとじゃ、壊れないよ)
あれは確かにカッパの声だった。しかし、はっと我に返ると、カッパはいつものように、単調な動きを繰り返すだけだった。私はカッパの腹の真ん中めがけ、強くボールを投げた。カッパは、きっ、と真っ正面を見据え、堂々と踊っていた。これがぼくだ、文句があるかとでも言いたげに。
私はあのときのカッパを探しに、この街に帰ってきたのかもしれない。ごめんと一言、謝りたかった。痛い思いをさせた割に、たいした男になれず、申し訳ない、と。
百貨店を出ると、日差しはさらに強まっていた。もう夏だった。がらくたをかき回したような電子音が、まだ頭の中で鳴り響いていた。
やめるのをやめてのうのうと生きている
(作・松田畦道)<了>
(とある文学賞に応募し、あえなく落選した作品の冒頭を若干修正して短編としました。)