※鉄塊衆名簿自作五句ならびに鍛錬句会投句より。
白川玄齋
恥で済めば安いものだと六十八の父
恥と何を天秤にかけていたのかわからないが、半世紀以上を生きた人の実感がこれなのだろう。教訓としておきたい。
苦瓜をひとつ実らせる人生か
この句はポジティブに読みたい句である。苦瓜ひとつでも、実らせるだけで十分である。そこに生きた証が詰まっているのだから。
道を語らなければ好い人だ
しかしこの人は、道を語ることをやめないだろう。道を語ってこそのこの人なのである。困った。
アンドロイドを夢見た少年は機械に生命を握られており
初見ではよくわからなかったが、改めて読み直すと面白く思えた。ストーリー句とでもいうのだろうか。この少年の先を知りたい。
柔肌以外もいろいろ知らず
知らないことは誰にでも無限に存在する。その中の筆頭に「柔肌」をもってきたところに面白みがある。
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風呂山洋三
生まれてくる子よ腹を蹴りなさい
佳句。愛も強さも願いも描かれている。なお、以前に『草原』に掲載された句に「胸高く腹高く臨月でいる(幸市)」があった。
天狗かもしれぬ羽音に山深まる
山とともに暮らしている者にしか詠めない景だろう。天狗信仰には地域性があるのだろうか、私の地元では天狗の話をきいたことが一度もない。
雪の田の熱い血潮覚え夕暮れ
「雪の田」を知らない故か、景を想像できなかったことが口惜しい。雪の田を前にして熱い血潮を覚えるとは、雪国に生きる人びと強さの表れか。
雪の教える猫の散歩道
積雪の日(あるいはそれは日常なのかもしれないが)、猫の足跡をみつけたのだろう。その先には何かが待っているのかもしれない。
宝物みつけたよ犬小屋あった辺り
ここでいう宝物とは、犬の毛と読みたい。私も同じように、みつけたことがあったのである。
『苦瓜をひとつ実らせる人生か』
返信削除2012年のベスト5に選ばせて頂いた句。人生か……という余韻が好きです。否定でも肯定でもなく、ひとつの苦瓜に己の人生を見る、といった。そこにどのような価値を見いだすかを、読み手に委ねているところがよいと思います。
『天狗かもしれぬ羽音に山深まる』
風呂山さんの自選五句を拝見したとき、真っ先に目に留まった一句です。山をひとりで歩いていて、ばさばさっという羽音がしたとき、それを天狗かもしれないと思う。私もひとりで山歩きをするので、よく分かります。孤独を愛し、自然を慈しむ。そんな静かな心映えを感じる句でした。
> 畦道さん
削除コメントをありがとうございます。
苦しい入院生活の中で勉強をする、そんな中で実らせるものは
「苦瓜」ではないかと、改めて思いました。
どんな物を象徴として持ってくるか、それが詠む時の
ポイントの一つになってくるのかなと、そんな風に思いました。
今日は少し涼しい中、元気に学んでいきます。
私は「恥で済めば安いものだと六十八の父」と「雪の教える猫の散歩道」ですね。
返信削除前者は句会でも取りました。お父様のしみじみとした肉声が聞こえて、再現性に優れた句だと思います。
後者は誰も気付かない片隅の風景。でもこういうのを描いた句は大抵名句となります。
今後もお二方のご健吟をお祈り致します。
> 藤井雪兎さん、
削除コメントをありがとうございます。
参加した句会の一回目に詠んだものだと思います。
父の言葉は心にしみる物が多いです。年齢を重ね経験を重ねる、
そんな中での実感したものは、重みがあるのだと改めて思いました。
私も人生を見つめながら、これからも学んでいこうと思います。
> koto さん、
返信削除ありがとうございます。まだ挑戦二年目ですので、試行錯誤で詠んでおります。
「苦瓜~」は入院中に出来た句です。その時に出来たのが、
「胡瓜咲くこんなところに命あり」です。
苦瓜のグリーンカーテンを、入院中によく見かけておりました。
「アンドロイド~」はこれも入院中の作です。
呼吸器に繋がれた私自身をモチーフにしたものです。
こういう句を詠む時も日々の実感が生きてくる、そんな風に思いました。
風呂山さんの句は、「生まれてくる子よ腹を蹴りなさい」が良いなと思いました。
新しい命を迎える夫婦の喜び、そんな風に思いました。
家族を詠むものを取ることが多いと改めて思いました。
選句の目もしっかりと養っていこうと思います。
これからもしっかりと学んでいきます。
Kotoさん、畦道さん、雪兎さん、玄斎さん、ありがとうございます!大変励みになります。
返信削除玄齋さんの句では
『苦瓜をひとつ実らせる人生か』
が好きです。
人生とは決して甘いものではないですが、実りあるものにしたいと強く思いました。