2013年5月18日土曜日
某ブログを読む
「自由律俳句」で検索をしていると、あるブログに行きついた。おそらくは子持ちの女性が、日々の暮らしを書き連ねたもので、なかには自身が詠んだ自由律俳句をまとめたページがあった。これが非常によいのである。
2009年で更新がとまっており、ブログ作成者と連絡をとるすべがないのが残念でならない。以下に19句を選んで鑑賞するが、紙幅に余裕があれば、全句に鑑賞文を付したいほどであった、
なお、ネットで公開されている以上、こうしてとりあげることに問題はないと考えてのことだが、ブログへのリンクを貼ることはしないでおく。
友らしい切り方でにんじんの天ぷら
この友は、自身の友がにんじんの切り方に着目しているとも知らず、できあがった料理を頬張っているのである。面白い。おそらくざっくりな感じだったものと思う。
いつも弟に譲っている子と枕を並べた
これが母の目線かと、はっとさせられた。あまりに愛おしい景だ。
障子の穴から新緑
子供とともに暮らしていることを想像せしめる一句。白と緑のコントラストがよい。
散るだけ散って沈黙の落ち葉
「沈黙の」はなくてもよいかと思ったが、そうすると重さがなくなってしまうかもしれない。類句はあろうが、好き句。
私でしかない私を見つめて化粧する
この詠み手は、顕信を読んで句作をはじめたのではないかと思い至った句。理由をうまく説明することはできない。
おにぎり持つ手から天道虫が飛び立つ
お子さんの手だろうか。運動会かピクニックかわからないが、春の陽気がみえる。
母の手そのままにおにぎり
子にとって、世界で最もおいしいおにぎりは、母の手でつくられたものなのである。私も未だに無性に食べたくなることがある。
ピンクのリボンでおかあさんの絵となる
お子さんが、家族の絵を描いていたのだろう。何が何やらわからないが、ピンクのリボンが決め手となった。
魔法使いの声色も出して読み聞かせ
少ししゃくれた声だったのではないだろうか。夜の寝る前の束の間の時間、子どもたちも読み聞かせの世界にひきこまれていたことだろう。
お母さんと結婚したい息子二人持つ
こういうことを言うのも今だけだと知っていても、それでもなお、嬉しくないわけないじゃあないか。
子ら眠った後に時計の音
子どもの頃のことである。夜中に目が覚めると、居間に明かりが灯っていることに気付いた。ふすまを開けて中をのぞくと、カチッコチッという時計の音と、テーブルに突っ伏した母の姿があった。なんとなく、思い出した次第である。
草の実いっぱいつけて走ってきた
おそらく、私の地方でいうところの「バカ」のことだろう。何故かわからないが、子どもはあれを大層好むのである。
大きめのスリッパの大きさにはしゃいでる
これぞ子供。いいじゃないかいいじゃないか。声が聞こえてきそうだ。
点数つけてやれば何度でも逆立ちしている布団の上
構ってくれる大人がいると、子どもは異様に頑張るものである。子が疲れるのが先か、親が疲れるのが先か。
木の実採って子らと戦闘開始
ここで容赦をしては、子らに失礼。全身全霊をもって、戦いに挑んでいただきたい。
※以下二句は、お子さんが詠んだ句とのこと。
あさみえた山がみえなくなってあめがふりだした
山に雨雲がやってきたのだろう。冗長さに時の流れを見る。
やさしそうなおじぞうさまにおねがいする
子どもながらにちゃっかりしている。人定めがうまいのかもしれない。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
お忙しい中ブログの更新誠にありがとうございます。
返信削除>2009年で更新が止まっており
う~ん心配ですね。「子ら眠った後に時計の音」の句が非常に良かっただけにまた句作を再開していただきたいですね。
あさみえた山がみえなくなってあめがふりだした
返信削除ゆったりとした時間、地に足のついた暮らし。子供らしいとも、らしくないともいえる一句。
素晴らしいですね。
またやまがみえてすこしせがのびている 畦道
お二方とも、どうもありがとうございます。
返信削除よくよくブログを読むと、もしかするとお孫さんをお持ちのお婆ちゃんのものかもわかりません。いずれにせよ、2009年で更新が止まっていることが気がかりです。
しかし、本当に佳い句群でした。読者冥利に尽きます。
お子さんの句がまたいいのです。らしくない感じもして。
>またやまがみえてすこしせがのびている 畦道
「少年時代」ですね。
こんばんは。句を検索してもとのブログを発見しました。
返信削除このブログの写真にあるお子さんかお孫さんかは、
もうずいぶん成長していると思います。
> 草の実いっぱいつけて走ってきた
こちらでは「ひっつき虫」といわれている
「オナモミ」の実かなと思いました。
活発な子供の様子が浮かんで良いなと思いました。