この度は、風呂山洋三さんのブログ件、句集とも言える『風呂山書房』を印刷して読んだ。
そのところ、風呂山さんの世界観には、田舎の人特有の湿気がある事に気がついた。
東北、山陰、北海道と、田舎の人が持っている独特の無口さ、曖昧さ、奥ゆかしさに、一体何が潜んでいるのか?
それが、『風呂山書房』に赤裸々に語られているように感じた。
・自由と言われ身を固くする
・さるものをおう
・書いたあと虚しい
・トイレに用はない
・爽やかな男に生まれ変わりたい
・何も無き秋
奥へ奥へと籠っていく、冬籠もりのような句の連続である。
それらは、
・逆境に強いひとのフリをした
で、結ばれる。
『風呂山書房』には、就職、恋愛、結婚、育児、そして、愛読書と、
様々な人生の節目が訪れるが、本当の主題として貫かれているのは、それらの体験の裏にある、
忍耐力なのではなかろうかと思った。
・蝋人形にしてやろうかと言われた
・口角を何度もあげる面接前だ
・眠れるか眠れないか赤子がきめる
・ちょっとすいません、そこをどけ
・はじっこが定位置である集合写真
普通の人は、10回我慢したら、1回くらいハメを外すものだか、
風呂山さんは、ひたむきに忍耐、耐える事自体を生きがいとしている。
そして、今回、
・光秀の気持ちもわからぬわけでもない
という句が一番、記憶に残った。
明智光秀という武将は、相当に、色んな事を耐え忍んでいたのかもしれない・・・?
一通り読み終えて、整理したところ、
・風呂山さんがトップに立つと分かり易い 祖啓
と、言うことになった。
風呂山さんが頂点に立つと、何かきっと、分かり易い事が起きるような予感がした。
私も風呂山書房を読み、鑑賞文を書きましたが、この発想はできませんでした。次回作も期待しております。
返信削除kotoさんへ
返信削除ありがとうございます。上手く次回に活かしてみます。