2012年7月27日金曜日

鈴木牛後句集「根雪と記す」評


藤井雪兎


我が「鉄塊」と公式ブログをリンクさせて頂いている俳句集団「itak」様所属の鈴木牛後様から、ツイッターのつながりで句集「根雪と記す」を寄贈して頂いた。入手は諦めていたので、全くの僥倖だった。ネット社会様々である。

もう既にこの句集の句集評がかなり書かれているので、私の拙文を晒すのも気が引けるのだがどうかお許し頂きたい。

句集の外見の特徴は「CDジャケット」と聞いていたが、本当にそうだった。ディスクユニオンのレジの横などにあるNow Playingの所に立てておいても違和感は無い。CDケースに入れてみようとしたが、句集の方が少し大きくて入らなかった。惜しい。

さて、前置きはここまでにして、特に素晴らしかった句を句評と共に5句ほど。ちなみに私は句集を読む時、気に入った句の頭に○を付けるのだが、それがほとんどの句に付いてしまい、いい意味で選ぶのが大変だった。

行く春のいつか何かに使ふ箱

『何か』とあるのだから、ここでは重箱や弁当箱のように用途がはっきりしている箱ではないだろう。おそらく役目は終えたが捨てるには惜しくなるような箱、つまり菓子箱ではないだろうか。春の茶会も終わり、空になった菓子箱に今年の春の思い出を詰め込んで、来年の春を待つのだ。

畜生と言はれて牛の眼の涼し

仏教では、悪業を行い愚痴や不平ばかりで感謝の無い者は死後畜生に生まれるとされる。だが彼等の健やかな姿はどうだ。思わず羨ましくなるほどではないか。そんな姿に嫉妬して罵る人間が次の畜生になり、のんびり暮らし、また人間になるのだ。実によくできている。

秋桜や駅より見ゆる次の駅

北海道には秋桜の名所が多いらしい。土地も広いのでかなりの範囲で咲くのだろう。開けている場所も多いので、今いる駅から次の駅が見えるのもまた北海道ならでは。他の都道府県ではあまりお目にかかれない。旅先から送られて来た絵葉書を眺めているようだ。

時雨るるや遊具は鉄として売られ

時雨れているのだから、この遊具で遊んだ事のある子はその場にいないかもしれない。それは救いであり悲劇でもある。この遊具は溶かされて再利用されるのだろうが、次は何に生まれ変わるのか。願わくばまた遊具となって子供達の元へ戻って来て欲しい。

人に首空に月ある寒さかな

どちらも当たり前の事だが、この世が形を保つ上で崩れてはならない法則である。人の首が無くなる時、どうなるのかは周知の事実だが、空の月が無くなる時について知っている人はいない。血の代わりに何が噴き出すのか。考えながら寒さに震える。


自然と共に暮らし、また、自然に生かされているといった自覚が無ければ持ち得ない視線だと感じた。その句作の方法は言うならば客観写生ならぬ「共存写生」だろうか。これはまさしくこの作者の特権である。これからも私は彼の句に驚かされるだろう。次の句集も楽しみだ。

4 件のコメント:

  1. ありがとうございました。光栄です。ツイッターにも書きましたが、「人に首」の句評は作者ながら新鮮に感じました。句に新しい命を吹き込んで頂いたことに感謝します。

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    1. いえいえ、こちらこそ凄味のある句をありがとうございます。優しく健やかな句の中で異彩を放っていた句でしたので取り上げずにはいられませんでした。これからも何卒ご健吟をm(__)m

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  2. 牛後さん、初めまして。『鉄塊』の畦道と申します。
    当ブログにて御句拝読しました。
    どれも地に足のついた、力強い句でした。

    その箱に輪ゴムを溜めて極暑かな 

    今後とも宜しくお願い致します。

    畦道拝

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    1. ありがとうございます。
      よろしければ拙句集をお送りいたします。
      ツイッターでメッセージを頂ければ、と。

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