2013年11月8日金曜日

中塚一碧楼を読む~その二

中塚一碧楼の句の観賞です。では、さっそく。


霧の夜の船造りの大工布団に入り


“の”の三連。もたつかず一息にさらりと読めるのは流石です。“入る”ではなく“入り”と止めたのは、余韻の効果を狙ったのでしょうか。また、“り”で韻を踏んでいるところも狙いなのかもしれません。それらの工夫の効果でしょうか。胸にすっと入ってくる句です。


酔えば秋の夜の板の間のおもしろく


酔っているわりには鋭い視線の句。確かに酔うと普段気にも止めなかったことが気になるものです。ここでは“板の間”の木目が気になったのでしょう。こうして秋の夜長を楽しんでいるのかもしれません。また、この句でも“の”で畳み掛けています。速度がついて最後の“おもしろく”が活かされています。


秋の昼赤子口を突出して何ぞ


新しい表情を次々と覚える赤子。時折、驚かされることもあります。非常に共感できる句。また、“秋の昼”という季語が入ることで長閑な感じが強調されています。当時はまだ季題の放棄をしていない頃でしょうか。季題を棄てて久しく経った現代の海紅においても「“季”の力を借りる」として、このような手法は受け継がれています。


梨を食うているやさしい悪者でした


大好きな句なのですが、実は句意が図れません。何となく父親や兄のことではないかと思いました。もしかしたら師匠のことかもしれません。いや、これは深読みですね。いずれにせよ、分かる句ではなく感じる句です。“やさしい”の後に、海紅でよく言われる“キレ(屈折)”を感じます。よいお手本です。


鯊釣りの帰りの鯊が少なうて洲崎に灯が入った


釣果が上がらないまますっかり日が暮れてしまったのでしょう。秋の日暮れを存分に感じさせる句です。ここでは“洲崎”と場所が限定されているところに着目したい。そこに行ったことがある者ならば、さらなる共感を覚えることでしょう。例え私のようにその場に行ったことが無い者でも、イメージとして広がります。また“鯊釣りの帰りの鯊が”と少々まどろっこしい言い方ですが、これは強調でしょうか。その効果についてはもう少し考えてみたいと思います。

それでは、今回はこの辺にて。

4 件のコメント:

  1. 「酔えば秋の夜の板の間のおもしろく」は一碧楼独特のリズムと感性が炸裂した句ですね。感性だけでなく、自分だけのリズムも身に付けたいものです。

    「梨を食うているやさしい悪者でした」は自由律俳句をやり始めた頃に読んで、「何かあるぞ、一碧楼には」と思わせた句でした。「分かる句ではなく感じる句」というのはまさしく仰る通りです。

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  2. 雪兎さん
    >自分だけのリズム
    すなわち“自分律”といったところですね。私も身につけたく思います。

    >「何かあるぞ、一碧楼には」
    同感です。その“何か”を得るためにも読みを続けていきたく思います。フォローのほど宜しくお願いいたします。

    コメントさんきゅう!

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  3. 酔えば秋の夜の板の間のおもしろく

    秋の句群のようですね。この中でとるならば、掲句となります。座敷童でものっていたのかもしれません。

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    1. Kotoさん
      週俳で触れられておりましたが、一碧楼の“主観”は実にユニークですよね。しかも、その“主観”は決して独りよがりではなく、なぜか強く共感できるというところが凄いところだと思います。“誰もが同じような感慨を抱く句”。私の目指すところでもあります。

      コメントありがとうございます。

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